歴史と格式を今に残す、大連「旧ヤマトホテル」
中国・大連にある「旧ヤマトホテル」を訪れた。創業は1914年8月。かつて満州国で日本が展開していた南満州鉄道は、満鉄線の沿線都市で複数のヤマトホテルをチェーン経営していた。大連はかつて日本から満州への玄関口であり。南満州鉄道が本社を置いた最重要拠点であったため、大連ヤマトホテルは大連一の格式を誇り、ヤマトホテルの旗艦店としての役割を担っていた。
1945年の日本の敗戦に伴い、中国に返還され、現在は3つ星ホテル「大連賽館」として当時の建物のまま経営している。
玄関口からエントランスホールや会議場の内部、そして清のラストエンペラー「
ひときわ目を引いたのは、会議場の装飾だ。金の柱と深紅のじゅうたん。シャンデリア、いまではアンティークとなった数多くの椅子。かつてはここを、満州事変を調査したリットン調査団や、麗人スパイとして有名な川島芳子や李香蘭などが訪れた。
近年では中曽根康弘(元総理)、竹下登(元総理)もこの会議場で重要な会合を行った
当時、上流階級と言われた人々がどんな思いでこの場所に降り立ち、歴史の狭間の中でさまざまに暗躍していたのだろう。その胸のうちは、本人たち以外には知る由もないが、それでも筆者は歴史の一部始終を垣間見ようと、一所懸命に心の目を凝らした。華やかな場所にはそぐわない深い哀しみと痛みが想起された。歴史と格式を今に残す、大連の旧ヤマトホテル。その姿を壊すことなく保存し、今も利用できるようにしてあることに感銘を受けた。