【寄稿コラム】ドイツ―難民支援の現場から(6)-クリスマス前のテロ事件-岐路に立つ難民政策
12月19日、クリスマス前の買い物客でにぎわうベルリンの目抜き通り、クーダムのクリスマスマーケットにトラックが突っ込み、12人が死亡、48人が重軽傷を負った。犯人は、難民申請を却下されたチュニジア人だったとされている。イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は関与を認める声明を発表した。今年1年、ドイツで起こったテロや暴行などの不穏な事件の陰には、難民問題がちらつくことが少なくなかった。2015年9月の歴史的な難民受け入れから1年、ドイツの苦悩と不安を振り返ってみたい。
難民受け入れで、社会の空気はどう変わったか
今年、ベルリンで難民宿泊施設を運営するベルリナー・シュタットミッシオーン(BS)の取材に協力してくれたゾフィーに11月に連絡を取ると、彼女はすでにボランティアを辞めていた。何があったのかと尋ねると、彼女はこう答えた。
「難民支援には今でも意義を感じているし、私は難民受け入れに賛成です。ボランティアを辞めた理由は、大学の勉強が忙しくて時間がなくなってしまったから。それからボランティアのもらえる報酬って本当に少ないんです。難民支援は、単なる事務的な仕事をこなす以上に、精神面でも難民の人たちを支えていく重要な仕事です。ボランティア一人にかかる負担も非常に大きく、続けていくことに限界を感じました」。
難民を取り巻く社会の空気に変化を感じるか? という質問に対してゾフィーは、「それはない」と即答した。「個人的には、私の周りでは何も大きく変わってはいないと思います。おかしな事件は、ドイツが難民受け入れをする以前からあったし、難民=テロリスト、犯罪者予備軍みたいなイメージを、マスコミが不必要にあおっているように感じます」
一方で10月に発表されたYouGovによる世論調査では、ドイツ人の68%が「ここ2~3年で国内の治安が悪化した」と感じており、68%が駅で、63%が多くの人が集まるイベントで「身の危険を感じる」と答えている。
政治的な難しさは
今年9月、メクレンブルク=フォアポンメルン州とベルリン市州で州議会選挙が実施され、反難民政策を掲げる右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進、メルケル首相のキリスト教民主同盟は大敗を喫した。1年前、67%の高支持率を誇っていたメルケル人気は急下降し、今年9月の時点では47%を記録。こういった事態を受けてメルケル首相は「時間を戻せるものなら数年戻したい」と述べ、初めて難民政策の「失敗」を認める発言をした。
ドイツ連邦政府は平和的に難民受け入れをしているだけではない。ISの攻撃にさらされているイラク北部のクルド人勢力に対して2014年以降、武器輸出などの軍事支援をしている。つまり、ドイツ国内で戦争は起こっていないが、臨戦態勢にあるのと等しい状態にある。一方、おもにシリアやイラクからドイツに入国する難民の多くは、着の身着のままで身分証明書すら所持していない場合が多く、悪意を持ってドイツに入国する人と、そうでない「本当に困っている」人を見分けることはほぼ不可能だ。
多くの人たちの善意で支えられてきた難民受け入れが岐路に立っている
善意だけで越えられない限界
ベルリンでもう一人、難民のためのボランティアに参加している大学生のマリーに話を聞くことができた。フランス人の父とドイツ人の母を持つマリーは、「難民問題は、私自身の一部」と語る。マリーの父は、アルジェリア人の血を引くイスラム教徒だ。マリー自身はプロテスタント教徒として育ったが、イスラム教を否定する気持ちは持っていない。多文化共生はマリーにとって自分の存在に関わる切実な問題であり、フランスよりも寛容なドイツの移民政策に期待しているのだという。ヨーロッパとアラブ・アフリカ諸国、キリスト教とイスラム教、平和と戦争は隣り合わせに存在している。難民問題は、そういったさまざまな歴史的・政治的背景と、ヨーロッパ自体が抱える矛盾を浮かび上がらせた。
1年前、内戦状態にあるシリアの現状にドイツ人の大多数が善意の憤りを感じ、難民受け入れを支持した。しかし「難民」の背景にある政治状況は複雑で、人間の善意だけでは越えられない限界にぶつかっているのが現状だ。ドイツの難民政策は今、大きな岐路に立たされている。
タイトル写真:ベルリンのテロ事件のあと、各地で追悼の祈りが捧げられた