『明月記』『宋史』のオーロラ記録、科学的に証明
現代の観測結果などから過去の巨大磁気嵐の発生パターンが解明され、鎌倉時代の『明月記』など古典籍に残されたオーロラの記述が科学的に確かめられた。国立極地研究所、国文学研究資料館、京都大学などの共同研究グループによる研究で、米学術誌『スペース・ウェザー』オンライン版に2月21日付けで掲載された。
鎌倉時代に日本・中国でオーロラ観測
太陽の活動は約11年周期で変動しており、地球上ではさまざまな形でその影響を受ける。たとえば、太陽活動が激しくなり磁気嵐が発生すると、地上では大規模な停電、宇宙では人工衛星の故障などの障害が起こる。また、大きな磁気嵐のときには、日本のような緯度の高くない地域でもオーロラが観測できることが知られている。
研究グループは、鎌倉時代初期の歌人である藤原定家の日記『明月記』に着目。『明月記』には、かに星雲(M1)のもとになった1054年の超新星爆発の記録があることで知られている。オーロラについては、1204年2月21日と23日に、京都の夜空に「赤気」(オーロラの意)が現れたという記述が残されている。また、中国の歴史書『宋史』の記録によると、定家がオーロラを見た日と同じ1204年2月21日に太陽黒点が観測され、その日は磁気嵐が特に大きかったことも見出した。
太陽活動の推定サイクルと宋史の記録が一致
また、時代をさかのぼって京都の「磁気緯度」を計算した結果、『明月記』が記された1200年頃は、過去2000年間で、日本でオーロラが最も観測しやすい時期だったことが明らかになった。『明月記』と『宋史』、2つの文献と解析結果から、当時、藤原定家が見た「赤気」は太陽の異常を反映したオーロラであったことが科学的に確かめられた。
さらに研究グループは、太陽活動の強弱と、『宋史』に書かれているオーロラの記録との比較を試みた。『宋史』には、900~1200年代には長引く赤いオーロラが数十回観測されていたと記録されている。当時の太陽活動の強弱を樹木の年輪から推定した結果、太陽活動がより活発であった時期にオーロラが観測されていることが明らかになった。また、太陽活動が極端に不活発な状態であった1010~50年には、オーロラの記録は一例もなかった。
今回の研究成果は、自然科学と人文科学の研究者の密接な協力によって実現した。同グループは、今後、将来起こりうる最悪の宇宙環境を理解、予測し、「宇宙災害」への具体的な対策に役立てたいとしている。また人文学的側面では、過去の宇宙環境が解明されることで、当時の人々の天文観への理解に繋がることが期待される。
(写真はイメージ)