子どもの読書週間特集(後編)石井桃子〜世界の児童文学を日本へ〜
石井桃子(1907~2008)
石井桃子は編集、翻訳、創作などの活動を通して、日本における児童文学の発展に寄与し続けた児童文学者である。日本女子大学を卒業後に編集者となり、山本有三を手伝って「日本少国民文庫」の編集に携わった。語学力を生かし、海外の児童書を翻訳。最初に翻訳したのは「熊のプーさん」だった。その後は「ピーターラビットのおはなし」、ブルーナの「うさこちゃん」シリーズ、「ちいさいおうち」など、誰もが一度は目にしたことがある児童文学を数多く翻訳し、日本に紹介した。「子どもに少しでもよい文学を」という思いから、一生を通じて300冊以上の子どもの本を世に送り出したほか、公共の児童図書館の普及に尽力した。
幼少期の経験が大事
石井は埼玉県浦和町(現在のさいたま市)の金物屋で生まれた。「ひがんではいけない」というのが家訓だった石井家で、両親の愛情に包まれてのびのび育った。幼少期には自宅の庭に植えられたさまざまな植物に触れることで感受性を育んだ。石井は後に、現在の自分はこども時代の自分に支えられているということを自覚するようになったという。
子どもたちよ
子ども時代をしっかりとたのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。
石井桃子 2001年7月18日
自立した人として生きたい
石井が大学に入学した1924年当時は大学に進学する女性はごくわずかで、大学進学率は男女合わせて5%にも達していなかった。結婚して家庭に入るのが当然と考えられていた時代に、1人の人間として自立して生きたいと考えた石井は大学に進学。卒業後は出版社で編集の仕事に就いた。真面目な働きぶりが評価され、当時総理大臣だった犬養毅の書庫整理という仕事を任されていたこともあった。犬養家で出会った「熊のプーさん」(岩波書店)が、石井の初の翻訳本となった。文芸春秋社や新潮社、岩波書店など日本を代表する出版社で仕事をし、多くの児童書を世に送り出した。
子どもにとって「本当にいい本」を
「子どもの文学とはなんだろう。子どもがおもしろいものは、どんな本だろう」と考えていた石井は1954年から1年間、児童文学の本場である欧米に留学する。各地で視察する傍ら、公共の児童図書館の普及に尽力してきた人たちから、実行してきたこと、考えてきたことをつぶさに聞いた。それを通して公共の児童図書館がなかった日本に足りないものをはっきり認識することになった。
帰国後は子どもと本についての勉強会をスタート。また、子どもにとって本当に面白い本を探るため、自宅の一室を開放した児童図書室「かつら文庫」で本の読み聞かせを始める。日当たりのよい約十畳の部屋に350冊の本を置き、土日に開放した。読み聞かせなどを通して、子どもたちがどのような本に興味があるのか観察し、適切な本を勧めることで子どもたちを新しい本の世界へ導いていった。
石井は、留学中に見たような質の高い絵本を日本の子どもたちにも読んでほしいという思いと、出版社には子どもにきちんと伝わる「お話」を出してほしいという思いを持って海外の本を紹介した。そして公共図書館の児童図書室を普及させるべく活動し、「東京子ども図書館」の開設に貢献した。生涯現役で2008年に101歳で亡くなるまでに300冊以上の児童書の翻訳、刊行を手掛けた。
東京子ども図書館では現在も、専用の「おはなしのへや」で子どもたちにお話を語ったり、絵本を読み聞かせたりしている。また大人向けの「お話の会」や、語ることを学べる「お話の講習会」も開催している。かつら文庫も毎週土曜日に開室している。今年は石井桃子生誕110年、かつら文庫60周年を記念した企画も行われる。
(写真はイメージ)