「沖縄慰霊の日」 残された深い傷跡
沖縄には、8月15日とは別の終戦記念日がある。「沖縄慰霊の日」。
6月23日は沖縄で、第2次世界大戦の組織的戦闘が終結した日だ。沖縄戦の司令官として赴任していた牛島満(1887~1945)が参謀とともに1945年6月23日未明に自決したとされ、戦後この日が慰霊の日と定められた。沖縄県では1991年から正式な祝日となっている。
沖縄は第2次世界大戦下の日本において、国内唯一の地上戦があった場所だ。沖縄戦は1945年3月26日に始まり、6月23日に組織的戦闘が不可能になるまで約3カ月に渡って米軍との死闘が繰り広げられた。この戦闘で一般住民10万人を含む約20数万人が亡くなったとされている。1940年の国勢調査では沖縄の人口は約57万5000人だったという記録から、およそ5人に1人が亡くなっている計算になる。
沖縄戦の中でも特に悲惨なこととして語られるのは、「集団自決」だ。日本軍は「生きて捕虜の辱めを受けず」という言葉を広め、沖縄の人々に捕虜になる前に自決するよう働きかけた。住民には日本軍から手榴弾が配布され、民間人も家族や近しい人たちとともに自決を強いられるという悲劇が沖縄各地で起き、そのことが戦死者の数を押し上げている。さらに戦後、1945年から1972年までの27年間、沖縄は米軍の統治下におかれることになる。もともと旧日本軍の施設のあった土地を利用して駐屯していた米軍は、朝鮮戦争やベトナム戦争の際に沖縄を利用し、民間の土地も強制的に接収していくようになった。72年に沖縄の日本返還は実現するが、返還協定に基地撤去は盛り込まれなかった。現在も多くの米軍兵が沖縄に駐屯しており、在日米軍基地の7割以上は沖縄にある。
沖縄本島の南端にある
(写真はイメージ)