いわさきちひろ 「世界中の こどもみんなに 平和としあわせを」
今日8月8日は、画家いわさきちひろの命日。淡い水彩画でかわいらしいこどもの姿を多く描いたいわさきちひろの絵は、絵本の挿絵などでおなじみだ。しかしそんな優しく穏やかな雰囲気漂う絵の裏には、青春時代に戦争を体験したちひろ自身の平和への願いが強くこめられていた。
戦争に奪われた青春時代
いわさきちひろは1918年12月15日に福井県で誕生。14歳で洋画家・岡田三郎助の画塾に通い始めた。しかし、18歳の時に日中戦争、20歳の時に第2次世界大戦がはじまり、ちひろは青春時代を戦争の中で生きることになる。1945年5月、26歳の時に空襲で家を焼かれ、その後疎開先の長野県松本市で終戦を迎えた。すべてを失ったどん底の中で画家として立つことを決心し、1946年に27歳で松本から上京した。1950年、愛する人と結婚し子どもが生まれて母親となると、自分の子だけでなく世界の子どもたちに向けての愛情が作品に注がれるようになる。ベトナム戦争が激化するさなか、53歳で書いた「こども」と題した3枚の絵によって絵本『戦火のなかの子どもたち』の企画が生まれる。このほか戦争をテーマにした2冊の絵本を通して、命や平和の尊さ、それを守りたいというちひろの思いが表現されていく。
戦争と子どもを描いた3つの作品
1967年、日本でも反戦運動が広がる中で出版された『私がちいさかったときに』は子どもたちの詩と作文に絵をつけたもの。戦争を知らない若い世代に戦争の悲惨さを知ってほしいという思いが込められた。1972年にはベトナム戦争をテーマにした『母さんはおるす』を発表。1973年には『戦火のなかの子どもたち』を著した。この最後の作品となった本を病気のために入院しながらも完成させたちひろは1年後に他界。ベトナム戦争の終わりを見ることはできなかった。
焼け跡の姉弟『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店、1973年)
『戦火のなかの子どもたち』のきっかけとなった3人の子どもたちの絵は虚無の表情で、それまでちひろが描いていた、命の輝きを感じさせる子どもの姿とは異なるものだった。そこには、戦争への怒りと悲しみが表現されていた。
戦争により多くの命が失われた過去、そして紛争や内戦により今も多くの命が奪われている現在。いわさきちひろが描き続けた絵の中の子どもたちは、今も私たちに平和への願いを訴え続けている。
冒頭写真は、シクラメンの花のなかの子どもたち『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店、1973年)
※本記事内の写真は、ちひろ美術館の「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」(展示室4)で撮影した。同館の他の展示は写真撮影不可。
【施設情報】
ちひろ美術館
177-0042 東京都練馬区下石神井4-7-2
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TEL:03-3995-0612
営業時間:10:00~17:00(最終入館16:30)
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