72回目の終戦記念日 平和に向けた日本の役割は
8月15日、日本は72回目の終戦記念日を迎えた。失われた平和を取り戻してきたはずの72年という歳月。今回、広島と長崎でのさまざまな人たちとの対話を通して、平和の価値と意味について考えた。
広島平和祈念式典を訪れて
6日に行われた広島平和祈念式典の会場は、人で溢れかえっていた。テレビ中継される部分は式典のほんの一部分に過ぎない。会場に入りきれない人たちが、近くに設置された何台もの中継モニターを通してともに式典に参加していた。さまざまな喧騒に包まれていた会場は、8時15分の黙祷で静まり返った。そこには平和の鐘とセミの声だけが響いていた。祈念式として毎年この日のこの時間に黙祷が捧げ続けられてきた、広島の72年間の歳月を思った。
式典のあと原爆慰霊碑へ足を運ぶと、献花をする人たちの長い列ができていた。この場所には、花だけでなく水も備えられている。被爆した多くの人たちは、水を求めながら亡くなったという。そのため、長崎にも水を絶やさない慰霊碑があったことを思い出した。
被爆の痛みから平和を願う思い
広島の資料館で被爆体験を語り継ぐ活動をしている年配の女性に出会った。彼女がこう話していたのが印象的だった。広島の原爆資料館は被害の実態を収集し記録している場所だが、名称は「原爆被害資料館」ではなく「平和記念資料館」という。そこには、原爆被害の実態を伝えることを通して、平和を願う思いが込められているのだと彼女は言った。
原爆の被害にだけ目を向け、被害者意識だけを持ち続けたら、私たちはそこから前に進むことができない。原爆投下に象徴される戦争の凄惨な過去と向きあい、自分につながる歴史に目を向けたのならば、その犠牲の上に今日ある自分の日常が、決して当たり前のものではないのだと知るようになるだろう。
72年という歳月、忘れ去られる記憶
筆者はこの夏、原爆の記憶をたどりに長崎と広島を訪れた。これまでも、各地に残る日本の戦争の記憶をたどるフィールドワークを続けてきたが、悲惨な戦争の実態や傷跡を目にする度に、本当に戦争をしてはいけない、平和でなくてはならないと強く感じてきた。ただし、今回は原爆の痛みについて知れば知るほど辛くなるばかりだった。
一方で、現地で出会った人たちと話をする中で、原爆の記憶を学び、平和について熱意を持って考えている若い世代がそれほど多くないということも感じた。72年の時を経て、悲しい記憶が忘れ去られていくことを実感するしかなかった。
広島と長崎への原爆投下は、人類史上最後の原爆投下の記憶とならなければならない。日本人に求められる役割が大きいことは明らかだ。自分に何ができるのか、改めて自らに問いかけた。
参考記事
72年目の原爆記念日を迎えた長崎――平和の価値について考える(2017/08/09)