母の日・父の日 各国の祝い方(3)米国で始まった「母の日」が欧州にも普及
今年は5月13日が「母の日」。日本および世界の多くの国で祝われる「母の日」の原型は米国にあります。今回は、米国と欧州での「母の日」の祝い方を見ていきます。
米国で始まった「母の日普及運動」
5月の第2週に「母の日」を祝う習慣は、米国が由来。生涯の多くを社会活動に捧げ、「マザーズ・フレンドシップデイ」を主催、南北戦争によって分断された米国で和睦に尽力したアン・リーブス・ジャービスという女性の存在が、大きな役割を果たしています。彼女が亡くなった日が1905年5月8日。その娘であるアンナ・ジャービスは母の死を悼み、教会の牧師に日曜礼拝の説教で、母親の役割の偉大さについて話してほしいと依頼しました。その後、アンナの積極的な働きかけから、「母を敬う日」を制定する運動が全米に広がり、アンナの母の命日、5月第2週の日曜日が1914年から正式に「母の日」と認められました。
母の日の花としておなじみのカーネーションは、アンナの母が生前好んでいた白いカーネーションを、1908年にフィラデルフィアで開かれた母の日の礼拝でアンナが配ったことが始まりだと言われています。この後これが、母が健在な場合は赤いカーネーションを、すでに故人となっている場合は白いカーネーションを贈るという習慣に発展しました。
ちなみにキリスト教の伝承では、カーネーションは十字架にかけられるキリストを見送った聖母マリアが落とした涙のあとに生えた花とされ、母性愛の象徴と考えられています。
欧州に広がり、国威発揚にも利用された母の日
「母の日」が欧州にも広く普及するようになったのは第1次世界大戦以降。フランスでは1918年にリヨン近郊の村で、息子や夫を第一次大戦で亡くした母親、またはその妻たちに対して敬意を表すセレモニーが行われました。1929年には、戦争で子どもを亡くした両親の栄誉を称える日を政府が承認。第2次大戦中のヴィシー政権下では、国威発揚の意味で母の日が利用されるようになりました。その後、1950年に改めて母の日が法律で認定され、以来フランスでは5月の最終日曜日に母の日を祝うようになりました。
ドイツで初めて母の日が祝われたのは1922年で、その後1933年に正式な祝日として制定されました。その後ナチス政権下ではアーリア人優生思想の下に、これもフランスと同様、国威発揚的にドイツ人の母親の出生率向上を推奨する形で使われた経緯がありました。ドイツも米国や日本と同様に、5月の第2日曜日が母の日となっています。
母の労をねぎらい感謝する日
「母の日は花屋が一番儲かる日」というのは、世界各国共通の傾向のようです。ただし母の日の提唱者だったアンナ・ジャービスも、当時すでに商業化した母の日への異議を唱えていたと言われ、母の日はお金をかけたプレゼントをするより、母の労をねぎらい感謝するべき日であるという思いは多くの米国人が持っているようです。
フランスでは、カーネーションに特化せず、花やチョコレートなどちょっとしたプレゼントを贈ります。ドイツでもこれは同様。また、ドイツの子どもたちはお母さんのために母の日の詩を書いてプレゼントしたり、母の日の朝はお母さんのために朝食を準備したりという祝い方が一般的です。
ちなみに母の日と比べてやや影が薄い「父の日」ですが、米国では6月の第3日曜日、ドイツではイースターの40日後のキリスト昇天祭の日(今年は5月10日)となっています。
(執筆:佐藤星乃香、天野なつみ、見市知)
母の日向けに、フォトアルバムやメモリーブックなどが並ぶドイツの書店
参考記事
母の日・父の日 各国の祝い方(2)日本の母の日事情(2018/05/10)
母の日・父の日 各国の祝い方(1)韓国「父母の日」となった由来とは(2018/05/08)
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