[書評]『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』残された者の使命とは
「サリン」「死刑囚」恐ろしい言葉が散りばめられた表紙をめくると、一転して、化学者二人の知的かつ人格的な討論が綴られている。本書は、オウム真理教・中川智正元死刑囚の希望により、刑の執行後に出版が予定されていた。7月6日の執行を受けて発刊に至ったが、発売前に重版されるという異例の刊行となった。
中川元死刑囚とトゥー教授
著者のアンソニー・トゥー氏は米コロラド州立大学の名誉教授で、「毒のことならすべて知っている」と語る、毒物学の世界的権威。松本サリン事件や地下鉄サリン事件で日本の警察の捜査に協力し、事件解明のきっかけを作った。通常、死刑囚との面会は家族と弁護士しか許されないが、トゥー氏はこうした背景から特別な待遇を認められ、中川元死刑囚と6年間にわたり15回に及ぶ面会と、文通を通して交流した(日本統治時代の台湾出身のトゥー氏は日本語が堪能で、通訳を介さず日本語でやりとりしている)。中川元死刑囚の全面的な協力もあり、この貴重なやりとりを通じて、おもに化学・生物兵器製造についての調査が成され、事件に関する多くの事実が解明された。
中川智正元死刑囚は松本智津夫元死刑囚の主治医で、教団幹部として坂本弁護士一家殺害事件・松本サリン事件など25人の殺人に関与している。さらに、毒物製造過程で中毒になった信者の治療にもあたっていた。医師でありながら化学にも造詣が深く、トゥー氏もその優秀さに敬意を示している。
数奇な二人の出会い
1994年の松本サリン事件発生当時、日本国内にサリンについての詳しい情報がほとんどない中、トゥー氏は日本の専門誌「現代化学」の依頼を受け寄稿した。この記事を見た警察が事件の捜査協力を依頼、トゥー氏がアメリカ陸軍より得た情報などを提供したことで、オウムのサリン製造の科学的証拠をつかんだ。奇しくも、オウムの化学兵器製造の中心人物であった土谷正実元死刑囚らも、この記事からヒントを得て猛毒VXを完成させていた。
2011年、中川元死刑囚は刑確定後、トゥー氏との初めての面会の場で、彼の人となりを伺わせる、このような第一声を発している。「先生はじめまして。アメリカからわざわざお越しくださり、本当にありがとうございます。先生のご本や論文は前から読んでいたので、先生のことはよく知っています」。トゥー氏も中川元死刑囚に対し、「死刑囚とは思われないほどはきはきとして、いつも笑顔で愛想もよく、質問に対してもすばやく答え、感じのいい人だった」と語っている。死刑囚の心情に配慮しながら質問をしたり、差し入れをするなど、一人間として向き合い、中川元死刑囚も弁護士を通してのメールや、クリスマスには毎年カードを送っていたという。
2017年2月に金正男暗殺事件がおきると、中川元死刑囚は獄中での限られた情報にもかかわらず、その症状から毒物の正体をいち早くVXと見抜き、世間を驚かせた。VXを用いた殺人および治療の両方に携わった人間は、世界で彼一人しかいなかったのだ。その後、事件に関する論文を英文で執筆、日本語版は「現代化学」2018年8月号に掲載された。
終わらない問い
トゥー氏は中川元死刑囚とやり取りする中で、あくまでもオウムが化学・生物兵器を作った動機・組織・その進行具合・製造者の人間関係などを明らかにすることに徹していた。個人的なことは極力質問しなかったため、中川元死刑囚がオウム真理教や自身の犯した罪に対してどう考えていたのか、といったことについては十分につかみきれなかったと言い、結びでは「私は彼の『明』や『光』の片側だけと付き合っていたのかもしれない」と締めくくっている。根は優しく、明晰な頭脳と知性を備えていたのは、オウム死刑囚の中で中川氏だけではない。彼らを凶悪犯罪に駆り立てたものは何だったのか――。従うべき師を間違えれば誰しもこうなり得るかもしれないという恐ろしい事実を前に、オウム事件に象徴される社会と個人に潜む根本的な問題とは何なのか、私たちは今一度そのことを問うべきではないだろうか。多くの尊い命と引き換えに、残された者の使命は重い。
書誌情報
『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』
著者:アンソニー・トゥー
発売日:2018年7月26日
定価:本体1400円+税
発行:KADOKAWA
(印税の20%は中川元死刑囚の遺族に渡される)
(冒頭の写真はイメージ)