登山家・三浦雄一郎さんの生きる力「人生はいつも<今>から」
86歳で南米最高峰アコンカグアに挑んだ経緯を語る
アクティブ世代の自分らしい生き方を応援する文化祭「朝日新聞ReライフFESTIVAL 2019」が1日、東京のロイヤルパークホテルで開催された。タレントの関根勤さんと麻里さん父子のトークショーや、落語家・
86歳で今なお現役の冒険家
プロスキーヤーでもある三浦さんは1985年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年に次男の豪太さんとともにエベレストに登頂し、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)を樹立している。2008年には75歳2度目、2013年には80歳にて3度目のエベレスト登頂を果たし、世界最高年齢登頂記録を更新した。
今年1月には南米最高峰アコンカグア(標高6961m)登頂を目指したが、ドクターストップにより途中で断念した。講演会では、その時の様子を記録したVTRが上映された。アコンカグア6000m地点のキャンプ場で、最初は安定していた体調が徐々に悪化したため、同行した息子の豪太さんから、ドクターストップがかかった旨を涙ながらに告げられた。雄一郎さんは「酸素マスクをつければ大丈夫だ」と話したが、豪太さんが「お父さんがこれ以上やるというなら、私はこのまま下山する。あなたの心臓が心配だ。命の保障がない。私がそれには耐えられない」と告げると、雄一郎さんはしばしの沈黙のあと、「わかった。わたしはドクターと一緒にベースキャンプまで降りるから、みんなはこのまま頂上を目指してほしい。せっかくここまで来たのだから」と言った。その後、豪太さんは雄一郎さんを500m下のキャンプまで送り届け、雄一郎さんが着ていた装備を身に付けて頂上を目指し、無事登頂した。頂上に差された真っ白な十字架が眩しく輝いていた。
アコンカグア登頂断念の経緯
VTR上映の後、三浦雄一郎さん本人が登壇し、アコンカグアに挑戦してから断念するまでの経緯を自ら語った。雄一郎さんは今から33年前の53歳の時に、初めてのアコンカグア登頂に成功している。33年たった今、同じ山に登ってまず感じたことは、「この山、こんなに大きかったっけ?」そう感じるくらい、自身の登山スピードが落ちたことを実感したという。
今回は中高年向けの登山方式であるクラックア方式を採用した。これはヘリコプターで4200mのベースキャンプまで行き、そこから登山を始めるという方式だ。そこからは歩いて、徐々に体を高度に順応させながら、6000mの地点まで酸素マスクをつけて登って行く。しかしこの地点でものすごい強風にあおられ、風が止むのを2日間待つことを余儀なくされた。到着した時点では血圧も安定し体調は良かったが、食欲は落ちていた。体調を気遣い、息子の豪太さんが豚汁を料理すると、おいしく平らげた。しかしテントを出てトイレに行くときには酸素マスクを外さなければならないため、この時に心臓への負担がものすごくかかったという。もともと心臓病と不整脈の持病があり、過去に二度、心臓の手術を受けているが、それをものともしない雄一郎さんにとっては、ドクターストップを告げられた時は「青天の霹靂だった」という。
常に「次は何をやろう?」と考える
アコンカグア登頂は達成できなかったが、気持ちの切り替えが早いところが、さすが世界的な冒険家だ。雄一郎さんはすぐに「次は何をやろうか?」と考えるのだという。目下の目標は、90歳になったらもう一度エベレストにトライすること。アコンカグアから日本に戻って来ると、登頂を断念した判断に対して「生きて帰って来たことが何よりだ」と会う人会う人が肯定的な称賛の声をかけてくれた。しかしそんな調子でお祝いの美酒に酔っていたら、風邪をこじらせ肺炎になってしまったという。講演会当日はまだ完治していない状態での登壇で、ややかすれた声であったが、最後までエネルギッシュな姿が印象的だった。「私は下界より山にいる時の方が健康です。下界にいるとついつい不摂生をしてしまう」笑いながらそう話す雄一郎さんは、すでに片足に5kgずつの重りをつけ、背中には10kgの重りを入れたリュックを背負ってトレーニングを始めたそうだ。
ケガをしても病気をしても、決して落胆せずあきらめない気質は、父の三浦敬三さんから受け継いだものだという。敬三さんは99歳の時にモンブランでスキーをしたという、雄一郎さんに負けない逸話の持ち主だ。いつも「次は何をしよう。今からが大事だ」と自らを奮い立たせ、新たな目標に向かって精進する。現在86歳で現役の冒険家・三浦雄一郎さんは、これが自分の「生きる力」を生み出しているのだと熱く語った。
冒頭の写真は、三浦雄一郎さん(左)と次男の豪太さん(右)(画像提供:朝日新聞社)