PCや携帯電話、平成30年間の発展のカギとなったもの 後編
特集 平成はこんな時代だった
携帯電話の普及とスマートフォンの登場
前編でみたデジタル化の流れが集約していったのが携帯電話の分野である。平成元年の1989年はまだポケベルが全盛で、携帯電話は一般的ではなかった。携帯電話の人口普及率は1995年3月に3.5%、1996年3月に8.2%、1997年3月に16.7%と急激に伸びていった。それまでレンタルが中心だった携帯電話が、1994年からの端末買取制度で爆発的に普及するようになったのだ。
1997年、携帯電話のメールサービスが開始される。2000年にJ-PHONE(現ソフトバンクモバイル)にてシャープ製J-SH04がカメラ機能を搭載、対応した機種同士ではメールに添付して送れるようにした。やがて他社でもカメラ付き機種が発売され、「写メール」という言葉も生まれるようになった。
その後、2004年のおサイフ機能(FeliCa対応)、2006年のワンセグ(地上デジタル放送)対応、モバイルSuicaなどの新サービスが相次いで登場。これは日本で独自に進化したケータイという意味でガラパゴスケータイ、略してガラケーなどと呼ばれた。
2008年7月、ソフトバンクからアップルのiPhoneが日本市場に登場。2009年にはNTTドコモより日本初のAndroid搭載の台湾HTC製のHT-03Aが発売された。2010年にはソニーXperia X10など、国内メーカー各社からもAndroidスマートフォンが発売される。こうして、スマートフォンが携帯電話の主流となっていった。
スマートフォンはパソコン並みの機能を持ち、通信の他にもカメラ、GPS、加速度センサーとありとあらゆるデジタル機器の集積になっていった。これにより単機能のデジタルカメラ、電子ブック、カーナビなどがスマホに取って代わられるようになる。スマートフォンの個人保有率は2011年に14.6%だったが、2016年には56.8%と5年間で4倍に上昇した。
しかし、Androidスマホを扱っていた国産メーカーは、中国・台湾製の安価な端末や韓国製の高機能端末との競争に勝つことができず2008年以降、三菱電機、東芝、NEC、パナソニックなどが相次いで携帯電話端末事業から撤退。富士通も2018年に撤退し、残った純国産メーカーとしては、シャープは2016年より
そして……
ノートパソコンの分野でも日本メーカーの撤退が相次いだ。2016年にNEC、2017年には富士通のPC事業がLenovo(本社:香港)の傘下に入った。東芝のDynaBookは2018年に鴻海に買収されてシャープブランドとなった。残る国産メーカーはパナソニックとソニーから独立したVAIOの2社だけである。
2018年度の総務省の情報通信白書に、製品輸出全体においてコンピュータ及び周辺機器、通信機器、消費者向け電子機器などのICT製品が占める割合の調査がある。日本では2000年の25%弱から15年間低下を続け、2015年時点では10%を下回っている。国際収支自体は主に海外資産が生み出す利子や配当などの収益からなる第一次所得収支が伸びていて、貿易・サービス収支から所得収支へと構造が変化している。
平成の30年間で身近な情報機器は飛躍的に発展し、私たちの生活は著しく便利になった。しかし、日本メーカーの産業としてはこれが根付かず、日本製品が多く市場に残らなかったのも、また現実といえる。日進月歩の進化を遂げる情報機器と同様に、社会全体が目まぐるしく変化し続けている。その中で国際競争勝ち抜くためには、日本の産業界も従来のままではなく、構造や体質の大きな転換を迫られている。新しい時代にキャッチアップし、「モノづくり大国日本」と呼ばれたその特性が生かされる、新しい未来が切り開かれることを願いたい。
(冒頭の写真はイメージ)