バブル崩壊、リーマンショックと東日本大震災 平成の日本経済回顧
特集 平成はこんな時代だった
平成元年(1989年)は、ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終結とともに始まった年だった。翌年の1990年10月3日、東西ドイツは統一し、さらに翌々年の1991年にはソ連が崩壊した。また平成元年は、今や世界を脅かす経済大国となっている中国で天安門事件が起き、これによって中国が対外開放政策に転換した年でもあった。
世界が大きく変化する中、日本では、平成元年末に東証平均株価が3万8915円という史上最高値を記録。しかし翌年10月、平均株価は2万円を割る。バブル崩壊の始まりだった。バブル崩壊と金融崩壊からの経済の回復、更にリーマンショックと東日本大震災を経て、日本という国自体も新たな転換を迫られた平成30年間の日本経済を振り返ってみたい。
バブル崩壊、金融崩壊からの目覚め
バブル崩壊は貿易黒字から来る好景気の中、銀行の過剰融資、企業の過剰投資から起こった。公示地価平均価格は4年で3倍となったが、1991(平成3)年をピークに下落、1年で半分近く下がった。不動産を担保としていた融資は、価格の低下により一気に不良債権となった。日本の経済成長率は、1991年の3.4%から、2年後には0.2%にまで落ち込んだ。それでも社会の雰囲気は明るく、バブルの象徴といわれるディスコ、ジュリアナ東京ができたのは1991(平成3)年のことだった。1993(平成5)年は、皇太子のご成婚で世間は活況に沸いていた。
そんなバブルの幻想から一気に目を覚めさせたのは、大手金融機関の相次ぐ破綻だった。1997(平成9)年11月の三洋証券、北海道拓殖銀行の破綻、そして山一證券の自主廃業である。翌1998(平成10)年には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が破綻認定を受けた。一気に雇用不安が高まり、経済成長率がマイナスとなった。ちょうどその頃、アジアを中心に、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国と相次いで通貨危機が起き、ロシア国債が債務不履行(デフォルト)という事態が発生した。そうした中で日本では、国際競争の中での生き残りをかけて「日本版金融ビッグバン」と呼ばれる金融制度改革が進められ、1999(平成11)年には大規模な銀行再編が始まった。
リーマンショックと東日本大震災
停滞した経済も、不良債権処理を終えたころから景気が緩やかに回復し、2006(平成18)年頃には高度経済成長時代の好景気である「いざなぎ景気」を抜くほどになった。自動車メーカーのトヨタは、世界生産台数で米ゼネラルモーターズ(GM)を抜き世界第1位となるほど回復していた。そんな折に起きたのが、2008(平成20)年9月のリーマンショックだった。リーマンショックの原因は、低所得者向けの住宅ローンを内包したサブプライムローンの不良債権化である。日本では当初影響が少ないと思われたが、サブプライムローンを購入していた欧州の各銀行の経営難と、急激な円高、輸出の減少により、大打撃を受けることになった。経済成長率は2009(平成21)年には-5.4%、欧米への輸出は約4割減少した。
そんな中、米国では2008(平成20)年の大統領選挙でバラク・オバマ氏が当選、初の黒人大統領が誕生した。日本では自民党に代わり民主党が衆議院第1党となり、民主党主体の政権が発足するという、政治的に大きな転換点があった。
経済成長率が4.2%まで回復していた2011(平成23)年3月、東日本大震災が日本を襲う。電力の供給危機、材料部品工場の操業停止によるサプライチェーンへの打撃、それに加えて円高が進行し、多くの企業が苦境を強いられた。そうした中で2012(平成24)年に自民党・安倍政権が発足。金融緩和政策や海外投資の拡大、自動車産業の回復により、2015(平成27)年には日経平均2万円台を回復した。
新しい価値観と経済システムが芽吹く
経済とは本来、人間の生活の営みから始まったものであるが、そのシステムが巨大化し、グローバル化する中で、いつの間にか人間がその仕組みに翻弄されるようになっていた。その流れの中で2011(平成23)年3月の東日本大震災は、人々の価値観や考え方に大きな影響を与えるきっかけとなったといえるだろう。同じ頃、米国で一つの潮流となっていた経済システムであるシェアリングエコノミーは、「絆」を大事にする考えや持続可能性を目標とする国際的な方向性にも合い、受け入れやすかった。また金融の仕組みは、FinTechの登場によって、より容易に資金調達が可能となり、海外送金や決済も手軽となってきている。経済システムの中で、「人」を中心とした新たなエコノミーの仕組みが生まれ始めている。
平成の30年間は、社会は変化にいかに対処するかを求められ、労働分配や海外進出、様々なバランスを取りながら耐えてきた期間だったといえる。今、世界では、保護主義に向かう欧米の風潮や巨大化した中国の管理的資本主義の一方で、日本経済は中国や新興アジア諸国に比べて、平成初期の頃より世界的なプレゼンスが低下している。一方で、高度経済成長の中で忘れられていた人と人との「絆」に再び目を向け、持続可能な社会を作ろうとする動きもある。新しい元号を迎える2019年、過去の教訓を生かし、より良い社会経済の仕組みが構築されていくことを願う。
(写真はイメージ)