平成30年間の5人の米大統領と日米関係
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特集 平成はこんな時代だった
日本にとっても世界にとっても、影響力の大きい国、米国。平成時代に誕生した大統領を振り返りながら、米国を中心にして起きた世界的な出来事と、日米関係史を見ていく。
1989(平成元)年~ 第41代大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ
1989年12月、ブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が首脳会談し(マルタ会談)、1945年から始まった米ソの冷戦の終了を宣言した。これをきっかけに、1990年に東西ドイツ統一、1991年にソ連解体と、世界の情勢が大きく変わっていった。
1990年8月、イラン=イラク戦争で多額の負債を抱えたイラクは、油田獲得のため隣国クウェートへ侵攻。これに対し、米国を中心とする多国籍軍の軍事侵攻によって湾岸戦争が勃発した。イラクの敗北後、オサマ=ビン=ラディンは国内の米軍駐留に反発し、米国への攻撃はジハード(聖戦)であり全ムスリムの義務だと主張した。これが後のイスラム原理主義アル・カーイダらによる、ニューヨーク同時多発テロの原因となる。
1993(平成5)年~ 第42代大統領 ビル・クリントン
1994年、カナダ・メキシコとの3カ国間で北米自由貿易協定(NAFTA)が結ばれた。加盟国の関税引き下げ、金融・投資の自由化、知的所有権の保護などを取り決め、円滑な国間取引が目指された。
また冷戦後、日米安全保障条約の必要性について疑問が提示されるようになっていたことから、1996年4月に日米安全保障共同宣言が公表された。共同宣言では、日米安保関係が「21世紀に向けてアジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎であり続けること」が強調された。とりわけ米国のアジアにおける軍事プレゼンスが「アジア太平洋地域の平和と安定の維持のために不可欠」であることが確認され、米国が10万人の兵力を維持することを約束した。
2001(平成13)年~ 第43代大統領 ジョージ・W・ブッシュ
2001年9月11日、同時多発テロが発生し、合計3000人以上が犠牲になった。事件直後、米国内の全空港は閉鎖、世界金融の中心であるニューヨーク証券取引所も約1週間閉鎖され、全世界の経済も大きな打撃を受けた。当初から米政府はイスラム原理主義過激派によるテロと断定していたが、首謀者としてオサマ=ビン=ラディンの名前が浮上するようになった。ブッシュ大統領は「テロとの戦い」を宣言し、ビン=ラディンをかくまったとしてアフガニスタンを攻撃した。これにより、タリバン政権は崩壊した。
2003年3月、「フセイン大統領が大量破壊兵器を持っている」としてイラクを攻撃、イラク戦争が始まった。しかし大量破壊兵器は発見されず、フセイン政権が倒れた後の混乱の中、イスラム過激派が勢力を伸ばし、後にイスラム国(IS)に発展するようになった。
2008年9月には、リーマン・ブラザーズの破綻に伴ってリーマン・ショックが起こった。これが世界各国に飛び火し、100年に一度といわれる金融不安に陥ることとなった。日本でも自動車産業や電機メーカーなどを中心に、派遣社員との契約を打ち切る「派遣切り」が相次いだ。
2009(平成21)年~ 第44代大統領 バラク・オバマ
オバマ大統領は就任直後、チェコのプラハにおける演説で「核なき世界」を訴えた。同年末にはノーベル平和賞を受賞したが、「成果を伴っていない」との批判もあった。
2016年5月には、現職の大統領として初めて被爆地の広島を訪問し、「未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることだろう」と語った。大統領の訪問を待ち望んでいた被爆者にとっては、長年の願いがかなう歴史的訪問となった。
2017(平成29)年~ 第45代大統領 ドナルド・トランプ
トランプ大統領は「アメリカ第一主義」を掲げ、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の離脱や、オバマ前大統領が推進していた医療保険制度改革(通称「オバマ・ケア」)の撤廃など、一国孤立主義の政策を推し進めた。日本に対しては、「日米間の友好を重んじ、私は安倍首相との友情を重んじる」と語り、安全保障関係を強める動きを取っている。
平成の30年間、世界のどこかで戦争が終わっては、また始まることを繰り返した。しかしながらその一方で、平和への歩みも一歩ずつ成されてきた。来る令和時代、世界はどのように変わっていくのだろうか。新たな日米関係、そして世界関係が良好であることを願う。
(写真はイメージ)