元エリート官僚の息子殺害にみる、引きこもりと家庭内暴力が抱える闇

元エリート官僚の息子殺害にみる、引きこもりと家庭内暴力が抱える闇

6月1日、東京都練馬区で、76歳の父親が44歳の息子を殺害するという事件が起こりました。父親が元農林水産省の事務次官というエリート官僚であったこと、引きこもりがちの息子が長年にわたって親に暴力をふるい続けていたことなどが報道され、世間の注目を集めています。

アルコール依存症専門医で、アディクションと引きこもりの問題に医師として多く接してこられた垣渕洋一先生に、今回の事件についての見解をうかがいました。

協力:垣渕洋一
成増厚生病院・東京アルコール医療総合センター長
専門:臨床精神医学(特に依存症、気分障害)、産業精神保健
資格:医学博士 日本精神神経学会認定専門医

―今回、父親に殺害された被害者である息子は引きこもりがちで、親に暴力をふるっていたと報道されています。アルコール依存症専門医として、このような親子関係に接することはよくあるのでしょうか?

はい。今回の事件のような家庭の状況は、私が仕事で接する中でまったく珍しいケースではありません。


引きこもって飲酒を続け、家族に対して暴力をふるう人がいるという状況で、その暴力を受け続けた人が、「無理心中することを真剣に考えました」と涙ながらに語る、といったような場面にも多く遭遇しました。
 

―報道を見た上で、今回の経緯をどのように推測しますか?

息子さんは、知能は正常範囲だけれど、引きこもっており、ゲーム依存があったようです。これまで生きていく中で、逆境を成功裏に乗り切ることができず、自分を守るために引きこもるようになり、落ちてしまった自己効力感、自尊感情を何とかするために、アディクション(不健康に何かにのめり込むこと。依存症、嗜癖)を利用してきたのではないかと推測します。


親は行政の相談窓口に相談できず、心理的視野狭窄となり、「殺すしかない」という心境に至ったということのようです。
 

―こういったケースに対して医療関係者として、どのような対応ができたと思われますか?

引きこもってゲーム依存やアルコール依存などのアディクションにふけるというケースは、まだまだ適切な支援が受けにくいのが現状ですが、一方で「家庭内暴力」のケースとして、熟練した支援者(医師やカウンセラー)からの専門的な支援を受けることは可能です。

今年1月の関東甲信越アルコール関連問題学会では、引きこもりおよび家庭内暴力における第一人者である精神科医の斎藤環・筑波大教授を招き、特別講演をしていただき、意見交換をしました。「アディクション支援と、引きこもりの支援は共通する部分が多く、互いに学ぶことができる」というのが我々の共通認識です。

たとえばどちらのケースの家族も、「こんな状態を世間に知られたくない」という思いを抱え込んでいて、外との風通しが悪いのです。その結果、親子同士の仲が悪いのに関係が密になりすぎているという矛盾した状態に陥ります。こういった場合の支援としては、第三者を家庭内に招いて、家族が互いに少し距離をおけるようになることを目指します。
 

―今回の事件で、引きこもり=犯罪者予備軍のようなイメージが広がってしまうことが懸念されます。

前述の斎藤教授は今回の事件を受けて、「引きこもりの人たちが、家庭内暴力以外の犯罪を起こしてしまう割合は非常に低い」とコメントされています。また、我々としてはアディクションへの支援の充実を促したいのに、実際は報道によって偏見が強化されてしまう可能性があります。


今回の事件に対して「エリート官僚一家の末路」のように興味本位で騒ぎ立てて終わるのでなく、同じような問題に苦しんでいる方たちに、確実に必要な支援や情報が届くようになることを願ってやみません。

(写真はイメージ)