リカバリーカルチャーって何?(2)先進国・米国に依存症治療施設を訪ねて【中編】
依存症を「病気」として認識し、そのための医療施設や自助団体が早くから機能してきた米国。前回に引き続き、その「本場」の実態を詳しく見ていきたい。
解説:垣渕洋一 成増厚生病院・東京アルコール医療総合センター長 専門:臨床精神医学(特に依存症、気分障害)、産業精神保健 資格:医学博士 日本精神神経学会認定専門医 |
米国にあるソーシャルモデルの依存症治療施設ドーン・ファーム。アットホームな雰囲気だ
リカバリーカルチャーを支える自助組織AA
かつて自分自身も当事者として苦しんだ経験のあるリカバリースタッフが運営する治療施設は米国中にあるが、そこで働く多くの人材を輩出してきたのがアルコホリクス・アノニマス(以下AA)だ。AAは、依存症者が医療者の助けを借りずに自ら運営している自助組織。
米国のリカバリーでAAを利用しなかった人はいないし、治療施設のプログラムの一環として、AAのミーティングに参加することは欠かせない。筆者は、米国研修旅行で訪問した治療施設ドーン・ファームで、利用者やスタッフとともに近隣のAAのミーティングに参加する機会に恵まれた。
「失敗しても、また挑戦すれば大丈夫」
水曜日の夜7時、住宅地にある教会の地下ホールには100人を超える人たちが集まっていた。彼らは交代で前に出ては自分自身の体験を語る。長年断酒が続いている人のユーモラスなスピーチには笑いが起こり、「何回も失敗したけれど断酒に再び挑戦する」という人の宣言にはあたたかい拍手を送る。日本から来た医療関係者である筆者たちも、前に出て一言あいさつをした。すると、「Welcome!」という声が飛んできた。
「依存症なんて、AAに来れば回復するのだ!」、「失敗しても、また挑戦すればOK!」という、前向きでにぎやかな雰囲気が印象的だった。東京でも同様のAAのミーティングに出たことがあるが、特別なイベントでもなければ100人も集まることはなく、雰囲気ももっと静かだ。米国と日本のリカバリーカルチャーの違いを感じた体験だった。
AAが米国で誕生したのは1935年と古く、今や世界中に数百万人のAAメンバーがいる。米国のリカバリーカルチャーの形成に大きな役割を果たしてきたAAの歴史をここで振り返ってみたい。
絶望の淵で神に出会った
AAの創始者の1人、ビル・ウィルソンは、株式仲買人として一旦は財をなしたが、その後、アルコール依存症になって全ての財産を失った。節酒や断酒に挑戦したが、ことごとく失敗。妻の財布から金を盗み、大量飲酒しては乱闘し、ブラックアウト(飲酒している間の記憶が、スッポリと抜け落ちるような脳障害)、離脱せん妄(アルコールの血中濃度が下がる時に意識障害を起こし、幻や空耳が聞こえる病気。放置しておけば死にいたることもある)も経験していた。「自分の人生が、どうにもこうにもならない」と感じる絶望の淵での入院となった。しかし、その時点ですでに入退院を繰り返してきたので、医師からもなかばサジを投げられていた。そのような状況に置かれたビルは、まさに祈るしかなかったのだ。そして奇跡が起きた。1934年12月のことである。ビルはその日の様子をこのように綴っている
私の高慢な頑固さの最後の名残も崩れ去った。ふいに私は叫んでいた。「もし神が存在するというのなら、頼むから姿を見せてくれ!何でもする。何でもするから!」
にわかに病室は霊光で満たされ、私は言葉では言い尽くせない忘我の境地に魅了されていた。(中略)私は解放されたことを突然悟った。(中略)私の中のすべてが、神がおられるという豊かな感覚に包み込まれていた。心の中で思った。「これが伝道師たちのいう神なのだろう!」(『アルコホーリクス・アノニマス 成年に達する』AA日本出版局編)
(後編に続く)
(冒頭の写真はイメージ)