リカバリーカルチャーって何?(4)日本の現状―共存する断酒会とAA
米国を発祥とするリカバリーカルチャー。アルコールや薬物などの依存症から立ち直った回復者(リカバリー)が、回復した姿を社会に示していくことで作られる文化は、どのように日本に入り、発展してきたのだろうか? 同シリーズの最終章では、日本の現状について紹介する。
解説:垣渕洋一 成増厚生病院・東京アルコール医療総合センター長 専門:臨床精神医学(特に依存症、気分障害)、産業精神保健 資格:医学博士 日本精神神経学会認定専門医 |
文化・思想・宗教観の違いから生まれた「断酒会」
日本のリカバリーカルチャーは、米国の自助グループAA(アルコホーリクス・アノニマス)に参加して学んだ人たちが「断酒会」を創設したところから始まった。断酒会は、日米間の文化、思想、宗教観の差によって生じる障害の排除を考え、AAが掲げる非組織、匿名、献金制の三原則と対照的に、組織化、非匿名、会費制によって運営されている。断酒会は1957年12月、東京で創設された。
これ以前に日本でも、AAの英語でのミーティングは戦後まもない時期から行われていたが、日本語によるミーティングは1975年3月16日、蒲田カトリック教会(東京都大田区)で始まったとされている。
断酒会、AAはこのように、成り立ちやスタイルが異なるが、対立しあっているわけではない。どちらもとても熱心に活動を続けており、全国で例会・ミーティングが開催され、それぞれの強みを生かした活動を展開している。たとえば断酒会はその組織力により、法律を作るという偉業を成し遂げている。
アルコール対策法はどのようにして生まれたか?
日本にはアルコール依存症者が100万人程度いるが、その周辺にはハイリスク飲酒者(純アルコール換算で男性なら60g、女性なら30gを連日のように飲んでいる)と呼ばれる人が1000万人近くいるとされている。すでに健康障害を抱えていたり、飲酒運転で検挙されたりと問題が顕在化していながらも、自分が危険な状態にいることに気づいていない人がとても多い。このため、アルコールによる健康障害や社会的損失を防ぐためには、医療だけでなく教育、行政、司法など、様々な分野が協力することが必須であり、多くの先進諸国では1970年代にこのための法律が作られた。しかし日本では飲酒文化への寛容さや、アルコールを製造・販売する側の力が強かったことなどから、法律制定は無理だと考えられていた。
しかし2010年の第63回WHO総会において、「アルコールの有害使用を低減するための世界戦略」が決議されたのをきっかけに、リカバリーと家族、医療者らが国会議員を巻き込んで制定運動を行い、2013年にアルコール健康障害対策基本法(以下、アル対法)が成立した。この制定運動には、断酒会の会員が積極的に関わった。アル対法は世界的にも誇れる内容となっており、法律に基づいた施策がなされるよう、断酒会は働きかけ続けている。
1000人を超える人が集まり、熱気に包まれたアル対法推進の集会(2014年5月25日 都内にて 撮影は筆者)
地道な治療施設運営を続けるAA
一方でAAの強みは、ソーシャルモデルの治療施設を開設・運営するリカバリーを輩出していることだ。その歴史は、米国のメリノール宣教会から日本に派遣されたミニー神父がアルコール依存症となったことに始まる。米国に戻って治療を受けた神父は、日本の仲間を助けることが自分の使命だと感じ、日本に戻って1978年に都内に「みのわマック」を開設した。40周年を迎えた2018年には、施設数が58軒まで増えていることが報告された。
中年以降に発症した人と違い、若年発症者(10代から飲酒習慣がついて、40歳以下で発症)の場合は、シラフで人間関係を作り、与えられた役割を果たして達成感を得た社会経験に乏しく、断酒すると生活の基本的なことも上手く行えずに途方に暮れることが少なくない。そういった人たちを寮に受け入れ、年単位で生活をともにして回復に導く、地道な営みが行われている。そういった、リカバリースタッフの働きには頭が下がるしかない。
(冒頭の写真はイメージ)