新型コロナウイルス流行で問われるクライシスコミュニケーション ―311の教訓は生かされたのか?― 中編
安倍首相は27日夕、新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で、全国の小中高校に3月2日から春休みまでの臨時休校を急遽要請した。感染拡大を防ぐための措置とされているが、それぞれに感染状況が異なる自治体や、学校現場、また子どもを持つ親たちからは、この判断への批判と戸惑いの声が広がっている。
解説:松木明子 医療ジャーナリスト。災害医療を専門にしている。 |
311の原発事故を彷彿とさせる状況
今回の新型コロナウイルスをめぐる一連の状況で思い出されるのが、2011年3月11日に発生した福島第一原発事故の時の状況だ。あのときも事故発生後、政府の公式発表は詳細ではなく具体的でもなかった。一般国民は実際のところ、今何がどのように進行していて、自分自身がどのように対処するべきかがわからなかった。
ウイルスと同様に放射線もまた目に見えないものである。東京にいても不安で、西日本に避難した人たちもいた。様々な憶測や不確かな情報が流れ、政府からの現状についての公式発表は日々少しずつ開示され、時間が過ぎるにつれて明らかになるその事実に人々は愕然とした。被災地の住民はある日突然、「この地域は住めない」と言われ、どれほどの期間避難するかもわからず、ごくわずかの荷物を持って家を出て、いまだに帰れていない人もいる。
初期の放射線曝露量は現在福島県の基礎調査で明らかにはされているが、初動の情報伝達の不足と政府公表データへの不信により、本当のところ自分は大量の放射線に被曝したのではないかという不安をぬぐえない人も少なくない。まるで、自分がいつ感染するかわからず船内で息をひそめてすごしたクルーズ船の乗客や乗員のように。
悔やまれるクライシスマネジメントの不備
放射線医学の専門家であり、当時、福島県の放射線リスクアドバイザーを務めた山下俊一氏は、このときの政府のガバナンスについてこのように指摘している。「突発的な大惨事に見舞われた現場では、平常時の指揮命令系統が機能せず、その場に居合わせた特定の人に、非常事態に即した迅速な判断と行動、そして決断に伴う過大な責任が課せられることなる。クライシスマネジメントとは、事故直後からの責任ある決断と行動であり、この間に発せられる権威ある規制と統制というガバナンスそのものである。
しかし、この場合は政府指示と、玉石混淆の個人レベルの言説の不統一見解が、種々のメディアの介在も加わり、防護基準の考え方と実際の健康リスクの考え方が混同されたことは痛恨の極みでもあった」(原文ママ)*
(注:山下氏が助言に関わったとされる福島第一原発事故での対応や発言については、その是非をめぐる問題があることを踏まえた上で、その経験も含めたクライシスコミュニケーションの問題への示唆として、同氏の文章を引用した)
YouTubeでの岩田医師による告発
この言葉は、現在の新コロナウイルス感染症をめぐる状況にそのままあてはまる。特にこのような不統一見解は、ダイヤモンド・プリンセス号での対応について顕著に表に現れた。
2月19日、神戸大学病院感染症内科教授である岩田健太郎氏が動画配信サイトYouTubeを通じて自らの見解(船内はゾーン分けが行われておらず、自分自身も感染の危険性を感じるくらいだった)を示し、それに多くの人が驚き、政府の対応に疑問を呈したことは記憶に新しい(現在は、岩田医師によりこの動画は削除されている)。岩田教授のこの発言に対して、実際に船で対応していた厚生労働省技術参与の高山義浩医師と、橋本岳厚生労働副大臣がそれぞれSNS上で個人的にコメントを発表した。高山医師は、岩田医師の発言を全く否定するわけではないが、岩田医師が実際の現場の全体像や、現在必死で対応しているスタッフの状況について十分把握はしていないことを指摘。まずは現在の臨床活動を優先する必要性から、岩田医師に下船してもらった旨を述べている。それに比べると橋本副大臣はもっと感情的に、岩田医師が乗船したことそのものについて批判をしている。しかしこれらは、いずれも公式な発言ではない。公式な政府の見解は、菅官房長官や加藤厚生労働大臣からの“ちゃんとやっている”というはなはだざっくりしたものであった。
(後編に続く)
【引用文献】
*山下俊一:東電福島第一原発事故後の状況と対応について、「環境と健康」 27, 175-186, (2014)
(写真はイメージ)