[書評]土地の持つ力を蘇らせる「都市のかなしみ 建築百年のかたち」
西洋建築史を専門とする鈴木博之氏の、日本近代以降の都市化の流れと日本建築への想いを、広い知見と深い洞察により綴ったエッセイ集。街を散歩するかのように、私たちの思想や感覚にも影響を与えている都市のかなしみの声を聞き取りたい一冊である。
都市は場所の集積である。場所の中に潜む「時間」と、時間の中で形成された「歴史と文化」を今によみがえらせ、生き続けさせる力によって、都市は「本当の」場所になる。その土地の持つ本来の力を、著者は「ゲニウス・ロキ」と呼んだ。
現代の都市は、地価や駅までの時間、容積率といったコスト・時間・空間の函数に還元され、経済空間化されている。「今の都市の真実は、無名の歴史、陽のあたらない文化に現れている」と著者は言う。郊外の駅前にみられる切れ切れにむき出された機能――放置自転車やバイクの列、看板の群れ、自動販売機の集団といった、孤独で無言の実用機能の断片。その断片化された機能に、全体性を与えアイデンティファイするものとして、地名や場所に過度に望みを託しているのではないか。場所が、発見され育てられるものではなく、パック詰めされたユニットのようになっているのが現代の都市だ。
著者は、日本の場所に潜む「ゲニウス・ロキ」を、庭園や、建築の装飾・屋根・エントランス・窓や軒といった細部、また近代以降の建築の西洋化や都市化の過程を通して考察する。江戸の都市は、全体として緑が点在する都市庭園の様な姿だった。戦後、都市計画なくモダニズムのビルが次々と建ち、川の上に高速道路が建設され、賑わいある川岸はコンクリート化していった。法律で定められたビル周辺の緑地は無味乾燥で、人々の憩いを拒んでいる。著者はそこに都市のかなしみを感じている。
現在、日本橋の高速道路の地下化と水辺の回復の計画が2040年を目標に進行中だ。豊かな川岸と緑が点在する都市庭園の頃の「場所」を、再び楽しむことができるかもしれない。コロナ禍により社会の生活スタイルが変化し、身近な街に少し時間をかけて接することができるようになったのではないだろうか。私たちが聞こえなくなっていた声に耳を澄まし、歴史文化に育まれてきた本当の場所を思いだすように、私たちの心も豊かにできる期間となれたらと思う。
著者:鈴木博之
発行日:2003年10月1日
発行:中央公論新社
(冒頭の写真 撮影:宮本昭)