[書評]那須正幹氏の絵本を通して考える、ヒロシマ原爆(後編)
「ズッコケ三人組」で知られる、児童文学作家の那須正幹さん。前編に続き、自らの被爆体験をもとに綴った広島の原爆に関する本を紹介する。
折り鶴の子どもたち
戦後10年たった広島市、市電の音と共に始まる夜明け、運動会の日の朝、12歳の禎子は興奮気味に一日を始める。リレーの選手だった禎子は、一番でバトンをつないで勝利につなげた。希望に満ちて学校生活を過ごしていた禎子が、首のリンパ節の腫れに気が付いたのはそんな頃だった。禎子は2歳の時に、原爆に吹き飛ばされた経験をしていた。それが10年たって青春の真っただ中に、白血病となって発症したのだ。
クラスでも人気者だった禎子は、9カ月の入院生活中、病院でも子どもたちに慕われていた。その中で死への恐怖を感じながら折り続けた折り鶴は、千羽以上になった。徐々に弱っていく禎子の体。禎子の母は、「この子に何の罪があったからこのような目に合わなければいけないのか」と嘆く。
家族や友人、先生たち、多くの人に看取られて亡くなった禎子の思いを受けて、自然と、原爆で亡くなった子のための碑を建てようという活動が起きていく。呼びかけにより日本中から多くの募金や支援が集まり、「原爆の子の像」が建てられた。
本書は、ノンフィクションとして、インタビューや史書を元に、当時の人々や街の様子、禎子を囲む多くの人たちの思い、原爆の子の像を建てるに至った経緯が綴られている。象徴の像のようでありながらも、これはあくまで禎子の慰霊碑なのだ。どこか近所にいる子どもの話のような身近さを感じながら、当時の日本中の思いが一つになって形をなした、その経緯を知ることができる。
文:那須正幹
絵:高田三郎
発行日:1984年7月1日
発行:PHP研究所
ヒロシマ
ヒロシマを舞台とした母子3代にわたる人生を、戦後から平成に至るまでの社会の流れと共に描いている。原爆投下後の広島で、夫を亡くし幼い赤ん坊を抱えつつ、駄菓子屋を営みながら暮らしをたてていく靖子。生活の端々に「ピカ」の影響で家族を亡くした人、後遺症と闘いつつ暮らす人、その中でも力強く歩みだしている人々の姿が見られる。相変わらず戦争が続く世界。反米の犯罪になるかもしれないと不安を抱きながらも、小さな抵抗として核兵器廃絶の署名をする靖子の姿が印象的だ。
娘の和子は大きくなり、東京のレストランでウェイトレスとして働くようになる。そんな折、靖子が白血病で死が近いことを知らされる。靖子は病院に駆けつけた和子に最後の一言として、彼女の出生について打ち明け息を引き取る。東京で子を宿していた和子は広島に戻り、母が始めていたお好み焼き屋を受け継ぐことを決意する。和子は女手一つで娘の志乃を育てた。
志乃は大人になってから、母和子の出生について聞くようになる。祖母靖子は、原爆の混乱の中で亡くなった娘の生まれ変わりだと思い、がれきの中で泣く和子をさらうように連れて、我が子として育て始めたのだった。志乃は思う、実の親子より、他人でも愛情をもって育てられ、また他人であった夫と出会い子を産んで育てて家庭をなしていく、そのことで十分幸せなのだ、と。
那須さんが本書の校正をしていた頃に、東日本大震災が起こった。テレビでその姿を見たとたん、広島の当時の光景がよみがえってきたという。焼け野原の中にぽつりぽつりと立つ掘立て小屋。変わり果てた故郷。しかし、人間は何度も打ちのめされても起き上がり、明日に向かって歩き出す。それが私の実感なのだ、そうあとがきに綴っている。
『ヒロシマ 歩き出した日』『ヒロシマ 様々な予感』『ヒロシマ めぐりくる夏』
文:那須正幹
絵:長谷川知子
発行日:2011年7月15日
発行:ポプラ社