唐紙の伝統を守る~唐紙師 小泉幸雄さんのインタビュー
私達は日本の伝統美の素晴らしさを理解しながらも、その文化は生活に身近なものではなくなってきています。実益社会の中で次第に継続できなくなっていく伝統工芸が後を絶ちません。生活様式の変化による需要の移り変わりの中で、伝統工芸はどのように存続していくのでしょうか。
江戸時代の嘉永年間に日本橋で創業した唐紙屋は、明治時代に「唐源」として独立し、湯島、埼玉八潮と場所を移しながら5代目まで受け継がれています。現代の唐紙師、小泉幸雄さんは70歳を超えて現役です。50年以上この仕事に従事し、伝統工芸士、選定保存技術保持者に認定され、旭日双光章叙勲を受賞しています。
唐紙は平安時代に中国の唐から伝来し、上流貴族の間で和歌や手紙を書く料紙として使われてきました。安土桃山時代から襖としての使用が盛んになり、江戸時代には町方庶民に浸透し、今でも寺社や住宅の室内装飾に幅広く使われています。
工房にお伺いすると、大きな唐紙が沢山干してあり、刷毛や版木等の道具が置かれていました。今は2人の息子さんと共に、注文を受けて唐紙を製作したり、唐紙の技法を用いた小物を製作したりしています。生活と共に伝統を受け継いできた苦労や思い出を伺いました。
(記者)唐紙の伝統を受け継いで来られた中での、苦労や思い出をお聞かせください。
(小泉さん)私が若い頃は、いい仕事を沢山体験させてもらいました。俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」の裏側に唐紙を張る仕事や、浜離宮の「松の茶屋」や寺社の襖を張る仕事などで大変勉強になりました。
今は襖の需要が減り、唐紙師をやっている人は数名しかいないのではないでしょうか。特にここ数年はコロナウイルス感染症の影響で、需要が半分以上に減りました。襖の張替えは職人に来てもらうので、それを気にされる人が多いのだと思います。襖は定期的に張り替えなければいけないと決まっているわけではないので、そのままでも使用できてしまうのです。生活を維持しながら伝統を受け継いでいくことの大変さを感じています。
(記者)昔ながらの襖の需要が減る中でどのような工夫をされていますか。
(小泉さん)端午の節句のお祝いに飾る五月人形を見ながら、甲冑を作る需要は減っているが、そのミニチュアを作ることで、甲冑師の伝統技術を受け継ぎ、いつでも本物に転用できるようにしているのだなと気が付きました。
私は5代目になり父の技術を盗みながら受け継いできましたが、その技術を残していかなければいけません。五月人形を参考に、アートパネルを作ったり、デザイナーの方と組んで、唐紙を使った小物の商品を開発したりしています。赤ちゃんの名入れをした小さい屏風や、ノート、ブックカバー、うちわ、マスクケース、版木の模様をアレンジしたスマホフィルムなどです。ただ、やはり売れるものも売れないものもあるので、試行錯誤といった感じです。
(記者)日本の伝統工芸に興味のある海外の方も多いと思いますが、海外からの問い合わせもありますか。
(小泉さん)カナダの方が江戸東京博物館の方と訪れたこともありました。また、韓国の博物館の学芸員の方が何度か来られて取材されたこともありましたね。
(記者)今後、唐紙がどう使われてほしいでしょうか。また今後やりたいことはありますか。
(小泉さん)父は80代半ばまで仕事していました。私も現役でいられるのはあと数年だと思います。体が動くうちは、注文があれば何でもやっていいものを作っていきたいです。最近は、声をかけていただいて、他の伝統工芸とのコラボレーションなど取り組みをしていますが、これから花を開かせていけたらいいなと思います。
唐紙は襖に使われる前は、和歌を書くなどに使われていました。今後も色々なことに使われるようになるように、工夫を続けていきたいと思っています。
【編集後記】
小泉さんは気さくにお話をしてくださり、唐紙を作成する様子の見学や体験もさせてくださいました。
お話を伺いながら、小泉さんの伝統工芸はいつも生活と共にあるのだなと感じました。小泉さんは、幼い頃に湯島天神の近くで工房をやっておられましたが、界隈の人は皆知り合いで、今でも久しぶりにお祭りで訪れると、近所の子供たちが喜んでくれるそうです。生活と共にある分、やりがいや楽しさも、維持していく大変さも共にしていかなければなりません。
日本という風土の中で育ったこの文化と技術が、新たな生活の中で人々に受け継がれていく仕組みをうまく作ることは、日本に住む人の生活を豊かに維持し受け継いでいくことでもあるのではないかと感じました。
(冒頭の写真は、5代目の小泉さんと後を受け継いでいる息子さん)
参考サイト
嘉永年間創業 唐紙製造 和紙雑貨 | 唐源 karagen (koizumihusumagami.com)