不登校時代に考える、学校や学びの意義 NEWS SALT記者座談会
文部科学省は10月27日、小中学校の不登校児童生徒数が24万4940人と、過去最高となった調査結果を公表した。不登校数の増加は9年連続で、前年度より4万8813人増えた増加率は過去最大となる。これは、小学生では1.3%が、中学生では5%が不登校になる計算だ。
不登校の要因は、小中学校とも「無気力、不安」が最多の49.7%だった。コロナ禍の活動制限で登校意欲が低下しやすかったことや、臨時休校・再開が繰り返されたことで登校のハードルが下がったり、生活リズムが乱れたりするケースがあったことなども指摘されている。
不登校児童生徒への支援については、文科省が2019年に、「児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある」とし、「学校に登校する」という結果のみを目標にするものではないことを示している。実際に、オンライン学習などを行う教育支援センターやフリースクールなどの活用も進んでいる。
「学校に行くこと」が当たり前ではなくなりつつあり、多様な学びの環境が整えられ始めた今、NEWS SALT記者が「学校」や「学び」について改めて考える。
不登校時代に考える、学校の意義
田中:昔は、学校は絶対に行かなければいけないものでしたが、最近はそうでもなくなりつつあるようです。学校、とくに小中学校の意義とは何だと思いますか?
井上:「好きなことを見つけるため」でしょうか。学校は必ずしも自分のやりたいことだけをやる場ではなくて、知らないことに取り組む場でもありますよね。やってみないと「この科目好きかも」といったことを見つけられないので、学校に行く意味があるのかなと思います。ただ、必ずしもその場所は学校でなくても良いかもしれない。学校以外で好きなことを見つけられる場があるなら、そこでも代替できるとは思います。
山中:私が子どもの頃は、学校に行くこと以外の選択肢は他になかったように思います。でも今はネットを見ればいろいろな情報が入ってくるし、オンラインで世界中の人と話すこともできる。選択肢が多いので、学校が補っていた機能をカバーするものは多いのかもしれないですね。
あとは、学校でしか得られなかったものとして、同世代の子たちとの共同作業があったかなと思います。同世代の友達と一緒に生活して、その中には親しい友達もいればあまり得意じゃない子もいたり……。そういった集団生活は、学校でしか味わえないものの一つだったと思います。
前野:学校は閉鎖的な環境でもあるので、その中で集団生活を学ぶのは結構大変だとも感じます。子どもの頃の経験を、大人になってからの人間関係に引きずってしまっている人も少なくない気がします。だからといって皆が家で個人学習をすれば良いというわけでもないので、学校の中での行動にもう少し自由度があると良いのではないでしょうか。
山中:家庭の支えや連携も大事ですよね。家と学校という子どもにとっての居場所において、居心地の良さをどう作るかが課題ですね。
井上:家と学校以外にも、居場所が選択肢としてたくさんあったらいいなとも思います。
求められる、多様な進路選択のあり方
田中:学校の大きな意義の一つに勉強があると思いますが、次は学ぶ意義について考えてみたいと思います。誰しも一度は「どうして勉強するの?」と考えたり、子どもに問われたりした経験があると思います。
宮永:まさに今、その真っ最中です。子どもが中学受験を控えているのですが、本人にモチベーションがないと受験勉強は難しいですね。グレードの高い教育を受けた方が職業選択の幅が広がると思っているのですが、本人はパティシエになりたいと言っているので、中学受験のモチベーションにはうまく繋がらないのが現状です。
田中:小学生が自主的に勉強するのはかなり難しいと感じます。私自身、知的好奇心というか、何かを知って分かることが増えていく楽しさを感じて、自分の興味のあることを調べたり、勉強するようになったのは中学生からでした。正直、小学生の時は勉強の楽しさはあまりわからなかったですね。
宮永:もう一つ、公立中学から高校受験をするとなると、内申点がよほど良くないとレベルの高い高校を受けさせてもらえないという事情もあります。そうなると、中学のうちに私立に行った方が自由にのびのび過ごせるのではないかと考えています。
田中:内申書の話で言うと、出席日数などが進路選択の足かせにならないような配慮があると良いですね。学校に行けなかった事情を汲み取った上で次のステップに上がれるような、多様性を尊重する仕組みができたらいいなと思いました。今や高校・大学・大学院などはいつでも行ける時代になりつつあるので、「この時期は訳あって学校に行けなかったけれど、もう一度学び直します」といった柔軟な学びの形が認められてくると良いと思います。
学ぶ意欲を引き出す教育
前野:内申書や受験と学ぶ意義や意欲は、また別のものだと思います。私にとって勉強することは、「自分がやりたいと思ったことが見つかった時に、そこに行くための武器になり得るもの」でした。学校で覚えたことの多くは時が経つと忘れてしまいます。けれど、一度膨らませた風船は膨らませやすいように、一度触れておけば、自分がやりたいことのために学ぼうと思った時に吸収しやすいのではないか…と思って勉強していましたね。
知識が多いほど世界の解像度は上がって人生がもっと面白くなるだろうし、知的に豊かであることは当人の財産になると思っているのですが、それを子どもに説明するのは難しい気もするので、本人なりの動機づけが何かできたらいいのかなと思います。
芳山:私は小学生の頃、かなり知的好奇心が旺盛で、漠然と興味があって、相対性理論の本を自分で買って、わからないなりに読んでいたんです。ただ、親や学校が私の疑問に対して何かを教えてくれるわけではなく、その好奇心を満たしきれなかったという経験があります。当時、自分の好奇心の段階に合わせて教えてくれるような環境が周りになかったのは、残念だったなと思います。
井上:今の時代はネット上などにコンテンツがたくさんあるので、環境面では選択肢は格段に増えています。その代わり、選んで掴む力だったり、そもそもの知的好奇心を育む部分がより大事になってきているんですね。
山中:子どもの知的好奇心を刺激してくれるものが学校以外にたくさんあるからこそ、昔は学校が担っていた役割を今は分散できるようになりましたよね。最近、中学校の部活動指導を地域のクラブチームと協力して行う動きがあります。これは教師の労働改善の側面からの取り組みではありますが、子どもの「何かを知りたい、学びたい」という意欲をどう刺激し、意欲が湧いてきたタイミングでいかに応えてあげるか、あと、その役割を誰がどういう形で担っていくかの問題は、可能性のある部分であり同時に難しい部分だなと思います。
田中:学校やフリースクール、習い事など、子どもにとってのいろいろな居場所がうまく連携していけると良いですね。
山中:明確にはやりたいことや興味がまだ出てきていない子でも、「これ楽しいかも」「これちょっと好きかも」くらいの気持ちの凹凸はあると思うので、そういう「好きの芽」みたいなものをうまく育ててあげることが、学ぶ意欲に繋がってくるかなと思います。
芳山:幼少期の知的好奇心に応えてくれる場所があると、学ぶことへの姿勢はもちろん、その後の人生も変わってくるように思います。
井上:義務教育のゴールは、「この知識を覚える」といったものよりも、「興味を持った」「勉強するきっかけが見つかった」といったことで良いと考えます。
宮永:何かを勉強すること自体、本当は楽しいことだと思いますし、その感覚を持てたら良いですね。
座談会を終えて
学びの資源が多様化し、子どものサポートのあり方も変わってきている。従来のあり方にとらわれずに、学校だけではないさまざまな場所が連携して、それぞれの子どもに合った教育環境を提供することが求められているのではないだろうか。いかに子どもの知的好奇心や学ぶ意欲を引き出すかを考えるために、それをサポートする側の大人たちこそが、今一度、学ぶことの意義や学びそのものの定義を見つめ直す必要があるのかもしれない。(井上)