[書評]『脳から見るミュージアム~アートは人を耕す~』
本書は脳科学者でもあり、医学博士でもある中野信子氏と東京藝術大学大学美術館准教授熊澤弘氏との対談形式で書かれている。脳科学者と藝術大学の准教授という異色の組み合わせだが、実は本書が出版された当時中野氏は東京藝術大学の大学院でキュレーションについて学んでいた。その理由について、中野氏はミュージアム(本書では美術館や博物館のことを指す)は脳のある種の機能と似ているのではないかと感じるからだという。ミュージアムは閉館時間にも貯蔵品などの整理や研究が行われている。脳もまた睡眠時に休んでいると思いきや記憶を整理したりして活動している。それが同じだというのだ。本書における対談は、中野氏が西洋美術史・博物館学が専門の熊澤氏の授業を受けたところから実現した。
実は人間の生存戦略にも「美」の感覚は関係しているらしい。ホモ・サピエンスは食糧にすることを目的に採取した貝以外に、象徴品として「美しさ」を重視した貝を収集していた。これは絶滅したネアンデルタール人にはない特徴だった。「美」を感じる種が生き残っているということは、「美」は生きる上で必要不可欠なのではないかと、中野氏は言及する。ならば、「美」が収集・貯蔵されているミュージアムについて、脳との共通点から論じるのは有益だろう。
熊澤氏によると、 ミュージアムの原型は15~17世紀に王侯貴族が作った「ヴンダーカンマー」(驚異の部屋)と呼ばれる様々な標本や珍品が陳列された空間だったという。それは貴族が「神の叡智の成果を、自らの手で仮想的に再現してみせる」ことが目的だったことを知ると、現代でも収集癖のある人や何かのコレクションをしている人が自分の興味のある空間を自室に再現していることを思い出し、何世紀も前の人間と現代の人間の思考が似ていることに親近感がわく。ミュージアムは高価な貯蔵品を置いておくためだけの場所ではなく、その起源を知り、貯蔵品を整理し、分類することで、人間の奥深さを見出すことのできる空間なのだ。
人間とアート・美術館の関係を熊澤氏が深く解説し、中野氏が脳科学者の視点で切り込みながら進んでいく本書。コロナで不要不急の外出が控えられるなか、多くのミュージアムは閉館せざるをえなかったが、アフターコロナには再びミュージアムの価値を取り戻すべきであることを、様々な角度から訴えかける。「今じゃなくても、3年後、10年後を生きるために、アートは必要なんです」と中野氏は本書の中で言葉を残しているが、出版から3年後にあたる今年、ミュージアムに目を向けてみてはいかがだろうか。
著者:中野信子、熊澤弘
発行日:2020年10月20日
発行:講談社
(冒頭の写真はイメージ)