[書評]『寺田寅彦と現代』 科学随筆の名手の言葉から今なお学ぶべきもの
『吾輩は猫である』の登場人物「水島寒月」のモデルである、寺田寅彦という物理学者をご存じだろうか。夏目漱石の弟子であり、科学者のまなざしで日常を切り取った随筆を数多く残した。本書は寅彦の著作の言葉を元に、現代の科学の有りようを批判的に検討しようとするものだ。
寅彦の物理学者としての本業はX線解析だが、当時の物理学では手が付けられなかった日常の現象に興味を抱いていたこともよく知られている。例えば、ガラスの割れ目、金平糖の角の出方、氷柱や鍾乳石のしわ、砂や泥の波形、珊瑚のヒダや樹葉の紋などだ。物理現象を法則化するためには定量化することが求められるが、複雑な問題はそれができない。しかし寅彦は、量的な取り扱いができないために軽んじられている分野の研究を奨励することが、学問の行き詰まりを防ぐために有効だと考えた。このような問題が後年になって、フラクタル、カオス、自己相似性など複雑系の物理学という分野に発展していった。
寺田寅彦といえば、「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉で知られている。寅彦は自著の中で、文明が進むにつれ天災の被害がより激烈になると指摘した。彼の言葉が現代への批判として一番顕著に現れるのは、あるべき科学や科学教育についてだろう。寅彦は、戦争の影響で科学の研究が盛んになったが、そのために科学が滅亡の危うい瀬戸際にいると主張した。応用ができそうな分野に大挙して研究者が集まるが、それ以外の分野が見向きもされず取り残されるからだ。荒れ地の中から宝を見つけるためには、科学のための科学こそがかえって未来の可能性をはらんでいると言える。また寅彦は、科学者はあたまが悪くなくてはいけないとも言った。物分かりが悪くて地道な努力を惜しまず、難関を回避せずぶつかり続ける、そういう精神が大切だということだ。
本書はさまざまな切り口から寺田寅彦の文章を分析しているが、彼の先見性や独特な物の見方には改めて驚かされる。有益性や効率ばかり求められて世知辛い世の中だが、締め付けばかりに走るとかえって次世代の芽を摘んでしまう。大勢についたり流行を追ったりせず、興味の惹かれる現象に向き合っていく。そのような、寅彦の説く科学者の精神に立ち返ることができる教育と研究のあり方が、今後求められるのではないだろうか。
『寺田寅彦と現代 新装版』
著者:池内了
発行日:2020年5月22日
発行:みすず書房
(冒頭の写真はイメージ)
【書評】科学者の随筆・評伝