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明治維新胎動の地 世界遺産・萩城下町を巡る

山口県の北部に位置する萩市。関ヶ原の戦いを機に、1604年に居城を広島から萩に移した毛利輝元が城下町を建設し、260年間にわたり発展を遂げた。幕末には吉田松陰をはじめ、高杉晋作や伊藤博文など明治維新に深く関わる人々を輩出したことから、「明治維新胎動の地」とも呼ばれる。

その中でも、当時の町並みを色濃く残す「萩城下町」は、松下村塾や萩反射炉などと共に「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つとして、2015年に世界遺産に登録された。わずか300メートル四方の町の中に、有名な幕末志士や後の総理大臣ゆかりの場所などが数多く残る。

新たな時代の幕開けを前に、命をかけて旧体制からの変革を成し遂げようとした人々の息遣いを感じながら、萩城下町を散策した。

萩城下町の散策マップ。日本の歴史を理解するうえで重要な価値をもつとして、国指定史跡にも指定されている。

木戸孝允旧宅。本名、桂小五郎。生まれてから江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごした。16歳の時3歳年上の吉田松陰に学び、19歳で剣術修行のため江戸へ留学。倒幕に向けて長州藩のリーダーとして活躍し、明治新政府では五箇条の御誓文を書き上げる。

高杉晋作誕生の地。長州藩の役人の長男として生まれた。藩校明倫館で学びながら、吉田松陰の松下村塾でも学ぶ。1863年の長州藩の外国船砲撃事件を機に、階級や身分を超えた軍事組織である奇兵隊を結成。討幕戦を勝利へと導くものの、結核を患い27歳という若さで世を去った。

高杉晋作と伊藤博文が幼い頃に遊んだとされる円政寺。周防国すおうのくにで農民の子として貧しい家に生まれた伊藤博文は、少年時代を小僧としてこの寺で過ごした。寺で読み書きを習い、後には吉田松陰の松下村塾で高杉晋作らと学び、その後木戸孝允の従者となって江戸に行き、尊王攘夷運動に参加。明治維新後、初代内閣総理大臣となる。

江戸への参勤交代で通ったとされる「御成道」に位置する菊谷家住宅。菊屋家は、毛利藩の御用商人として藩を支えてきた豪商で、屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担ったという。

国指定重要文化財となっている菊谷家住宅の主屋。白壁・なまこ壁が続く路地は「菊屋横町」と呼ばれ、その美しい景観から「日本の道100選」に選ばれている。

 

今回は現地のガイドの方に案内してもらいながら1時間半ほどかけて城下町を一周した。決して広くはないエリアの中で、教科書に名を残すような人物たちにまつわる場所が次々と登場するのは興味深かった。

本州の西の端、萩の地で、日本という国のために懸命に学び、大きな志を立て、行動を起こした人々によって日本の近代が幕開けを迎えた。彼らの生き様は、現代を生きる私たちの心にも大きな感動を与えてくれる。今を生き、これからの未来を紡いでいく者として、一度は足を運びたい場所だ。

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