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世界遺産を訪れる 平氏ゆかりの「嚴島神社」

世界遺産を訪れる 平氏ゆかりの「嚴島神社」

天橋立・松島と並んで日本三景とされる宮島。古代から神の島とされ、嚴島神社が鎮座している。1996年に世界文化遺産にも登録された嚴島神社を巡った。

世界遺産を訪れる 平氏ゆかりの「嚴島神社」

嚴島神社は593年、聖徳太子の時代に創建された。その後平安時代末期に平清盛が社殿を造営し、今のような形になった。平氏はかねてから瀬戸内海の舟運の発展を策しており、清盛は嚴島神社の建造に尽くし、海上守護神として崇拝した。
現代の本殿は、1571年に毛利元就が立て替えた4代目のものだが、清盛の時代に作られた社殿が忠実に再現された神社建築として知られる。その特徴は、海上に建つことはさることながら、平安時代の貴族の邸宅に用いられた寝殿造を取り入れていることも挙げられる。本殿の床面積は出雲大社の2倍以上あり、日本最大の大きさだ。

世界遺産を訪れる 平氏ゆかりの「嚴島神社」

古くから島そのものが聖域とされたため、神社の入り口となる鳥居は海上に建てられている。神域と俗界の境界を海上に示したのだ。
嚴島神社の大鳥居の高さは、奈良の大仏とほぼ同じ約16m、重さは約60トンある。海中深くに埋められているように見えるが、実は固定されておらず、その重さのみで立っている。左右の本柱にそれぞれ2本ずつ袖柱を添えたり、石の重しをしたり、さまざまな仕掛けで海上にそびえている。

世界遺産を訪れる 平氏ゆかりの「嚴島神社」

本殿の傍には能舞台が設置されている。1568年、毛利元就が観世大夫を招いて能を奉納したのが始まりだ。

世界遺産を訪れる 平氏ゆかりの「嚴島神社」

宝物館には平家納経が収蔵されている。これは33巻からなる装飾経で、平清盛が一門の繁栄を祈願して奉納した。経巻に金銀の切箔など豪華な装飾を施したもので、平氏による厳島信仰の一端を伝える美術品として名高い。
平安末期、武士の地位は確立しておらず貴族の護衛に過ぎなかったが、宋(現在の中国)との貿易などで栄え源氏を制圧した平氏が隆盛した。平清盛は武士の身で太政大臣にまで昇りつめ、さらに天皇家と姻戚関係を築き、政治の実権を握った。『平家物語』に「この一門にあらざらん人は、みな人非人なるべし」と記されているように、「平家にあらずんば人にあらず」と言うほど平家一門が栄華を誇った。しかし、同書の冒頭に「(おご) れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」とある通り、清盛の死後、勢力を落とした平氏は1185年の壇ノ浦の戦いで、はかなく海底に散っていった。海の神様として平氏に篤く崇敬された嚴島神社は、今日も「盛者必衰の(ことわり) 」を表しているようだ。