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オランダ統治400周年、台湾歴史の転換点

オランダ統治から400年、台湾歴史の転換点を振り返る

台湾は2024年の今年、オランダ統治400周年を迎えた。文字に記された台湾の歴史が始まった様子を、世界情勢とともに概観する。

15世紀末、インドへの新航路を発見したヨーロッパ諸国は、植民地を探して極東へ来航した。オランダは、アフリカの喜望峰・インド洋・マラッカ海峡を経る東廻り航路で来航し、スペインは大西洋・太平洋を越える西廻り航路でフィリピン諸国に到着した。こうして、中国や日本も含め、貿易の拠点を台湾に求める勢力が続々と登場した。マカオを拠点に貿易で富を築いたポルトガルも早くから台湾に目をつけ、台湾を「フォルモサ島」(美しい島)と呼んでいた。

1602年に世界最初の株式会社とされる「連合東インド会社」を設立したオランダは、ポルトガルに遅れて東アジア海域での仲介貿易に乗り出した。当時、オランダのアジアにおける根拠地はジャワ島のバタヴィアだったが、中国と日本の中継貿易を行うのには遠かった。そこでオランダは、台湾の西の沖合にある澎湖諸島を占領した。しかし明朝に駆逐され、1624年に台南へ移動した。これがオランダによる台湾統治の始まりとなる。

オランダは台湾南部を占領すると、各地に城を築いて新しい市街を開き、原住民を攻撃して征服した。また、農業生産力を向上させるため中国大陸から漢人を招き、大量の土地を開墾させた。これにより米や砂糖の生産量が増加し、輸出もするようになった。さらにキリスト教の宣教のため、教会や学校を設立した。宣教師は教師となってキリスト教の儀礼や教義を教えるほか、原住民統治の行政官ともなった。

フィリピンを拠点としていたスペインは、オランダが台湾を占領したことに脅威を感じ、1626年に台湾北部に出兵した。和平島にサン・サルバドル城を、淡水にサン・ドミンゴ城を築城したが、16年ほどでオランダに追われて撤退した。

オランダ統治400周年、台湾歴史の転換点
台湾北部の港町・淡水には、サン・ドミンゴ城が「紅毛城」として今も残る。

その後、オランダの統治も40年足らずで終わった。その支配地域も台湾全島の中の限られた範囲だったが、オランダ統治は台湾の歴史における大きな転換点となった。文字に記された台湾の歴史がここから始まり、漢人の農地開墾は狩猟採集生活から農耕生活へ変化するきっかけをもたらした。

オランダ統治400周年、台湾歴史の転換点
清朝英国領事官邸。スペイン・オランダの撤退後、台湾は清朝に統一され、19世紀にはイギリスが紅毛城を租借した。
オランダ統治400周年、台湾歴史の転換点
オランダ統治400周年、台湾歴史の転換点
領事官内には豪華な調度品が並ぶ。紅毛城は1972年まで英国領事館として使用された。