[書評]『日系人の歴史を知ろう』〜海外に渡った移民と多文化共生の歴史
現在、海外で生活する日系人は約500万人いるとされ、そのうちの約半数がブラジルで暮らしている。この本では、かつて日本から海外に渡った移民の歴史をなぞり、各地での出来事を紹介している。
日系人とは、日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人、およびその子孫のことをいう。
著者の高橋幸春氏は日本で生まれ、ブラジルに移住して日系三世の妻と結婚。1978年に日本へと帰国した。その年(1978年)にブラジルでは移民70周年祭が行われ、8万人が集まったとされている。当時の大統領も出席し、これまでの日系人の献身をたたえ、同じブラジル人として平和と発展のため日系人の協力は絶対に欠かせないとの異例の長いメッセージを伝えた。
最初の移民は、1868年「元年者」と呼ばれるハワイ153名の非公式な移民だった。サトウキビ農場の開拓に向かったが、奴隷扱いの賃金不払いや過酷な労働もあり病死者も続出だったという。
その後、官約移民といわれる公的な移民が10年程計26回行われ、民間移民会社による私約移民に移行する。ハワイへは1907年まで6万人以上の移民が送られた。いずれも当初の宣伝とは違う過酷な労働条件の中で、農園を出て都市で家庭奉公や大工等の小さな商売を始めるものも多かった。数年で戻る出稼ぎの予定であったが、日本への帰国も難しくなり、偏見や差別と闘いながら定住するため社会に溶け込む努力をしていった。しかし、移民は苦しい中でも日本への仕送りを続けていたという。
ハワイから米国本土に渡った移民への排斥運動がおこり、1907年には日米紳士協約、1924年には排日移民法により、移民は南米中心に移行する。日米の戦況が悪化するにつれ、米国では、日系移民の強制立退や鉄線で仕切られた収容所への収容が行われた。対象には米国生まれの2世も含まれていた。彼らの中は、米国人として自ら兵士に志願し、欧州戦線で活躍する者も多くいた。
戦後は日本の食糧不足や戦地からの引揚者による都市の人口の急増、沖縄の米軍占領で追われた人々が多く、1951年には南米への移民が再開されるようになった。当初の宣伝との齟齬もあり、訴訟や集団帰国もあったが、多くの訴えは届かなかった。その中でも1世の築いた土台の上に、漁業や農業、品種改良などにも活躍し、日本語学校を作り教育、日本語新聞の発刊、政界で活躍する者達も増えていった。
1990年、日本はオリンピック等の建設バブルによる人手不足のため、出入国管理法を改正し、日系の1世、2世と配偶者までの移民を認めるようになった。その後、著者の妻の元へは差別や就業の相談が相次いだという。
最初の移民から150年以上が経ち、日本では近年、移民受け入れの方向へ政策が転換されている。各地で多文化共生の取り組みが進みつつあるものの課題は多い。土地というのはパーソナルアイデンティティを育む場所だ。土地に根付いて実を結んでいくことは容易なことではない。長い年月と苦労の中で諦めずに生きてきた人々がいて、信頼を得るようになってきたことを忘れてはいけないだろう。
『日系人の歴史を知ろう』
著者:高橋幸春
発行日:2009年9月19日
発行:岩波ジュニア新書
(写真はイメージ)