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書評『フェルマーの最終定理』 3世紀に渡る難問が解決するまで

[書評]『フェルマーの最終定理』 3世紀に渡る難問が解決するまで

フェルマーの最終定理とは、1665年に没したフランスの数学者フェルマーが「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」と書き残したことで知られる難問である。その式はピタゴラスの定理をn次に拡張しただけで、意味自体は中学生でも理解できる。だが、これを証明することは極度に困難で、アンドリュー・ワイルズによる1995年の証明まで待たないといけなかった。

本書はBBCのTVドキュメンタリーを再構成したもの。ワイルズの壮挙を描くだけでなく、ピタゴラスによる数学の概念の確立、そしてフェルマーと同時代の数学者による解決の試みを経て、現代数学に至るまでの発展を丹念に記している。その全てがこの難題を解くために必要なことであったからだ。

1750年代、オイラーはフェルマー自身によるn=4の解法を再現するとともに、虚数を導入してn=3を解決する。1820年代には、女性数学者ソフィー・ジェルマンは2p+1型の素数についての制約を明らかにし、これを受けてn=5が解決された。その約20年後の1847年、クンマーが非正則素数以外について解決した。非正則素数は100以下では37,59,67だけであるがそれより大きいものが無限個存在する。

20世紀に入り、1931年にゲーデルが不完全性定理で証明不可能な命題の存在を示すと、フェルマーの定理も証明できないのではないかと不安視された。ゲーデルの定理に触発されたチューリングは計算機の実用化に道を開き、数学を力ずくで解く方法を提供した。フェルマーの定理も大きな数での証明が成されていったが、それでも無限個証明することはできない。

1955年から1960年代初め、谷山豊と志村五郎は、モジュラー形式と、全く別の分野である楕円方程式が同じものではないかとの予想を立てて数学界に衝撃を与えた。これが真ならば数学の大統一が成されるのだ。さらに1986年には、フェルマーの式も楕円方程式の一種であることがわかり、谷村=志村予想が証明できればフェルマーの最終定理も証明できることになり、この問題が現代数学の表舞台に躍り出ることになった。

ワイルズは10歳のころにフェルマーの最終定理を知って、これは自分が解かねばならないと決意する。数学者となった彼がこの問題と谷山=志村予想の関係を聞いて、ついに時が来たと思ったのは33歳の時だった。彼は競争相手となりうる数学者との交流を断って7年間もこの問題に没頭した。彼は帰納法を用いてドミノ倒し的に一挙に解決することを企てたが、その証明は古典的な手法から現代数学最新の手法まで総動員した構造物となった。1993年6月にそれを発表したが、瑕が見つかって解決するのにさらに14か月もの必死のもがきまで経ないといけなかった。

数学を扱った書籍だが実にドラマに満ちている。取り上げられた数学者たちの人生や、単なるパズルと思われていた問題が数学全体に与えた影響。ワイルズの奮闘、特に最後の14か月の部分は手に汗握った。到底不可能に思える夢に挑戦して実現した経緯は感動的だ。

『フェルマーの最終定理』
著者:サイモン・シン
訳者:青木薫
発行日:2006年6月1日
発行:新潮文庫

(冒頭の写真はイメージ)

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