【コラム】日本語は”乱れ”ているのか? 言葉を大切に使うには(前編)
11月3日は文化の日。「文化」という言葉はとても漠然とした印象があるが、各民族の文化を最も象徴しているものの1つが、言語だ。日本人にとっては、日本語に目を向けてみるいい機会なのではないだろうか。「日本語の乱れ」という問題が叫ばれている中、私たちはどのように日本語に接すればいいのか、考えてみる。
日本語に対する意識は高まっている
文化庁が今年9月に発表した2015年版の「国語に関する世論調査」によると、日本語を「大切にしている」人の割合は、2001年、2008年、2015年の順に69.1%、76.7%、78.5%と、増加傾向にあり、「美しい日本語」があると思っている人も同じく84.8%、87.7%、90.8%と増加している。「美しい日本語」と考えられるものは、「思いやりのある言葉」(63.3%)、「挨拶の言葉」(45.3%)が多く、言葉を交わす喜びや言葉の大切さを感じる時は「地域や職場で気持ちよく挨拶をし合うとき」(50.6%)が最も多かった。
日本語は敬語表現が大きな特徴の1つとされる。今後の敬語のあり方について、同調査によると、「新しい時代にふさわしく、敬語は簡単で分かりやすいものであるべきだ」という考えに近い人は1997年、2004年、2015年の順に41.4%、33.6%、26.1%と減少傾向にある。逆に「敬語は伝統的な美しい日本語として、豊かな表現が大切にされるべきだ」という考えに近い人は46.9%、53.6%、64.1%と増加傾向だった。誤用が多いといわれる敬語だが、大切にしたいという意識は強まっていることがわかる。
「ら抜き」は「乱れ」か?
では、「日本語の乱れ」は否定的に捉えなければいけないのだろうか? 誤用としてよく取り上げられる「ら抜き」を例に挙げて、考えてみたい。「ら抜き」とは、「見られる」「来られる」など、可能を表す時に本来「られる」とするところを、「見れる」「来れる」と、「ら」を抜いて言う言い方だ。同調査によると、「朝5時に来れますか?」「今年は初日の出が見れた」「早く出れる?」と言う人の割合は4割台で、増加傾向にあった。また、若年層ほどその割合が大きい。
ら抜きは一般的に「誤用」と言われることが多い。しかし、歴史的に見ると、その見方には議論の余地がある。五段動詞、すなわち「ない」を付けるとア段になる「書く(→書かない)」「走る(→走らない)」などの動詞の可能の形は、現在「書けない」「走れない」などが正しいとされているが、江戸時代のある時期までは「書かれない」「走られない」と、「れる」を使う言い方の方がより広く使われていた。「書けない」「走れない」が一般的となった明治時代に日本語の「標準語」が定められたため、これらが「正しい」ことになり、五段動詞以外については「ら抜き」を「誤用」とした。これにより、「見れない」「着れない」「食べれない」は誤用、「走れない」「切れない」「しゃべれない」は正しい、という、ある意味おかしな状況となったのだ。
もし「ら抜き」を正しいと定めれば、「可能形はエ段で表す」という規則で統一できる。また、同じ「れる・られる」を使う尊敬や受け身などとの区別が容易になる。実は「ら抜き」にはメリットが多いとも考えられるのだ。
しかし、だからといって「ら抜き」を今すぐに標準的な形にして統一させるのは適切ではないだろう。たとえば、「忘れる」など「れる」で終わる動詞は「忘れれる」となりにくい。
また同世論調査でも取り上げられたように、「彼が来るなんて考えられない」といった文では「考えれない」と言う人はわずか7.8%となるなど、用法によっては「ら抜き」が使われにくいこともある。「ら抜き」、広くいえば可能の形は、ここ数百年間で変化している過程にあるといえるのだ。
(後編に続く)
参考記事
【コラム】日本語は”乱れ”ているのか? 言葉を大切に使うには(後編)
(2016/11/03)
(写真はイメージ)