朝鮮戦争時の出来事を今に伝える~韓国、老斤里 平和公園
韓国の
老斤里事件は、1950年7月25~29日に起こった。京釜線鉄道の橋とその下のトンネルにいた避難民を米軍が北朝鮮側と通じる人々と見なし、爆撃・射撃。数百人が犠牲になった。
この事件をはじめ、同様の住民虐殺事件は朝鮮戦争中、各地で起きていた。しかし、これらの事件の負傷者や遺族は、「共産主義者」のレッテルを貼られることが多く、声を上げることが難しかったという。
そのような状況の中、遺族たちは真相究明活動や政府に謝罪を求める運動を続け、2001年にはクリントン米大統領(当時)が被害者たちと韓国民に遺憾の意を表明した。さらに2004年に「老斤里事件犠牲者審査及び名誉回復に関する特別法」が制定され、この法に基づいて、事件現場の隣に、老斤里平和公園が造られた。事件現場となった橋とトンネルは文化財に登録され、同事件が歴史の教科書に載るようにもなり、多くの人々に知られるようになった。
同公園を象徴するモニュメント。レリーフと銅像は、被害者となる避難民たちがトンネルを通過して移動している姿を再現している。球状の鏡には来訪者の姿が映るようになっている。来訪者自身もモニュメントの一部となることから、故人に共感するという意味が込められている。
公園に展示されている彫刻。事件の状況を再現したものや、象徴的な意味を持ったものがある。
事件現場となった橋とトンネル。弾痕が残っており、各弾痕に印がつけられている。
平和記念館。事件や被害者、そして認知活動に関連する写真や資料を展示している。
*注:「老斤里」の実際の発音は「ノグンニ」となるが、同公園の日本語版パンフレットでは「ノグンリ」となっている。アルファベット表記 “No Gun Ri” に合わせた、あるいは、「