[書評]『ベトナムの少女』「戦争を終わらせた写真」の主人公から学ぶもの 後編【GWに読みたい本】
キューバ留学からの亡命
キューバでは多くの友人に恵まれ、特に、将来の夫となるトアンと出会うこととなった。しかしキューバの社会主義体制も全盛期を過ぎ、ソ連の衰退・崩壊の影響で国の経済や生活は悪化していた。
キューバ留学中、フックには米国に行く機会が与えられ、喜びながら期待したが、逃亡の可能性を危ぶまれたベトナム政府により中止させられる。(これがくしくも、平成元年、1989年のことだった。)絶望したフックは、その後、自分を縛り付けている存在としてのベトナム政府をはっきりと認識するようになる。そして、モスクワからの乗り継ぎで寄ったカナダで亡命する。
赦しと平和の人へ
1996年、米国のベトナム戦死者記念追悼の集会に参加したフックはこう言った。「たとえあのナパーム弾を落としたパイロットの方と直接お話しできなくても、わたしはその方にこう言いたいのです。わたしたちは歴史を変えることはできませんが、現在と未来のためによい行いをして、平和を促進していくべきではないかと……」(438~439ページ)当の空爆を指示した元将校がそれを聞き、演説後にフックに歩み寄った。「すみません。すみません……」という彼にフックは言った。「いいんですよ。赦します。もう赦しますから」
フックはその後、カナダ国籍を取得し、国連親善大使を務めた。戦争の被害に遭っている子供を支援する「キム財団」を設立している。最近では、今年の2月に、ドイツの国際平和賞「ドレスデン賞」を受賞した。
中立性
本書を評価したくなる大きな理由の一つは、ベトナム戦争における米国・南ベトナム政府側と、北ベトナム・解放戦線側のどちらにも肩入れせず、当時の民衆の生活のありのままを描こうとしているところである。
どちらの側も、民衆にとっては厄介な存在で、「自分たちをより悩ませない側に傾くのがせいぜいだった」「忠誠を誓う相手を選ぶとしても、それはあくまでも見せかけの行為にすぎなかった」(50ページ)のである。
このような実態や、戦争終了後の経済的困苦は、ベトナム政府にとってはあまり知られてほしくないことであるため、本書がベトナムでどのように受け止められるのが、気になるところである。また、フックが自分を縛って苦しめたと認めているベトナム政府を、その後「赦し」、和解することができたのか、というところも詳しく知ることで、より学べることが多いと思われる。
テーマ「赦し」
この伝記、そして彼女の人生を通して大きく学べることは、「赦し」であると筆者は考える。
ただナパーム弾によって重いやけどを負うだけでも、そのような目に遭わせた人を憎みたくなるところである。本書を読んでわかるのは、彼女がその後、「プロパガンダの道具」として利用され、自らの望む学業の道を閉ざされながらも、宣伝のために演技をさせられ続けたことで、激しい精神的な苦痛を受けたということである。それでもフックは、赦した。
「彼女に赦すことができるのなら、他の人間にできないわけがあるかしら?」(370ページ)とある通りである。私たちにも、どんな仕打ちをされても相手を「赦す」、そのような心が今求められているのではないだろうか。
「戦争の犠牲者は確かにわたしひとりではないけれど、ほかの人たちには証拠がない。わたしにはフィルムがあり、写真があり、そしてこの体があるのだ」(308ページ)その精神で、今でも使命感を持って活動しているのだろう。
メディアのあるべき姿
最後に、本書を通して、メディアのあるべき姿も問われていると思われる。本書はフック自身が全面的に協力し、著者が
しいていえば、本書が本当にフック本人の意向を完全に表したものなのかということも、いつも批判的に意識する必要がある。平和を思うゆえに報道をしたいというのは皆同じでも、それが独りよがりでなく、本当に当事者本人の意向に沿っているものなのかということが実に大事であると感じた。
ベトナム政府からは逃れたフックだったが、本書の結びでも言われているように、戦争・平和という問題において、フックの写真の重要性は薄れることがない。かの写真と、フックの人生が、もっともふさわしい形で報道され、価値を発揮されていくことを望むばかりである。
書誌情報
『ベトナムの少女―世界で最も有名な戦争写真が導いた運命』
著者:デニス・チョン
発売日:2001年9月
発行:文藝春秋
(冒頭の写真はイメージ)