音楽の街ライプツィヒの、歴史を見つめてきた2つの教会
ベルリンから南西に200km、旧東ドイツ地域ではベルリンに次ぐ第2の都市として知られるライプツィヒは、欧州の音楽と文化において重要な役割を担ってきた場所です。世界最古の民間オーケストラとして知られるゲヴァントハウス、そしてドイツで2番目に古い歴史を持つライプツィヒ大学があることなどからも、その片鱗がうかがえます。
そして音楽好きにとって、ライプツィヒを特に有名にしているものはヨハン・セバスティアン・バッハの存在。バッハがカントル(教会音楽の責任者)として活躍したトーマス教会は、少年合唱団の存在でも知られています。クラシック音楽はそもそも、教会音楽から発展してきました。音楽と文化の都ライプツィヒで、歴史的に大きな意味を持つ2つの教会を訪ねます。
バッハゆかりのトーマス教会
教会前に立つバッハ像が象徴的なトーマス教会。原型となる教会がここに建てられたのは12世紀とされています。バッハがこの教会で仕事をしたのは1723~1750年にかけてのこと。そこからさらにさかのぼること200年、ここはマルティン・ルターが起こした宗教改革の主要な舞台のひとつとなりました。
教皇庁がルターに異端者の烙印を押そうと試みた、名高い「ライプツィヒ討論」(1519年)。その開始となった礼拝が執り行われたのがここ、トーマス教会でした。さらにその20年後の1539年、ルターがこの教会の説教台に立ち、トーマス教会は宗教改革を受け入れてプロテスタント・ルター派の教会へと転換しました。
教会音楽の定番として知られるバッハの楽曲ですが、実はバッハはアイゼナッハのルター派の家に生まれたプロテスタントでした。バッハの音楽の数々は、宗教改革を経た新しい時代の調べだったのです。
今のトーマス教会はバッハ時代の建築様式から大きく改築され、ゴシック様式のものとなっています。その後、1990年の東西ドイツ統一を経て大改装され、バッハの楽曲を演奏するためのバッハ・オルガンが復元・設置されました。
20世紀の「革命」の舞台となったニコライ教会
市街中心部、トーマス教会よりもより中央駅に近い場所にあるのがニコライ教会。1165年に建てられたというこの教会の名前は、商業の街として栄えたライプツィヒで、商人の守護聖人とされた聖ニコラウスにちなんでいるのだそうです。
この教会は1989年のベルリンの壁崩壊への原動力となった、東ドイツ市民による民主化要求デモの舞台となりました。ライプツィヒの民主化要求デモは、1980年代から定期的に続けられてきた「平和の祈り」が基盤となったと言われています。この場所から起こった民主化要求デモは大きなうねりとなり、ベルリンの壁が崩壊する1カ月前の1989年10月9日には7万人がこのデモに参加、市街を埋め尽くしたといいます。
信仰を持つ人も持たない人も現状からの救いを求めて教会に集い、自由を求める人々の声に神が耳を傾けた歴史的瞬間があったのだと、ここに立ち寄ると感じることができます。ニコライ教会は、
平和革命を起こす原動力となったものは、この教会での祈りだった
ニコライ教会の内観は、棕櫚の葉をイメージした柱とパステルカラーの優しい色合いが特徴
(in association with the GNTB/協賛:ドイツ観光局)