【特集】「熊本地震」被災日記(1) 前震と本震、熊本地震被災のはじまり
熊本で4月14日から続く大型地震。熊本に暮らす私は、生まれて初めて経験する大きな地震に生きた心地がしなかった。長いようであっという間に過ぎた、この1カ月。発生時から書き続けてきた記録を紹介したい。
4月14日(木)21:26 世界が揺れた、前震
1度目の大きな地震は自宅にいるときに起きた。
自分の足でまっすぐ立っていられないくらい大きな揺れだったので、近くのテーブルにつかまり、重心を低くした。
身動きは全く取れなかった。
台所にある食器棚が倒れて多くの食器が割れ、ダイニングに置いていた観葉植物が床に落ちて土が散乱した。
九州で生まれ育って31年間、このような大きな地震は初めてで、しばらく動転していたが、とりあえずテレビをつけてニュースを見ながら、割れた食器や観葉植物の片づけを始めた。
しかしその後も10~15分ごとに大きな余震が続いたので、建物内にいるのは危険と判断し、近くの公園に避難した。
公園には周辺住民約100人が避難してきており、家族ごとに肩を寄せ合っていた。
熊本に住む友人や職場の同僚の安否を確認するため「LINE」でやり取りした。
誰もが初めての経験だったので、さまざまな情報が錯綜し、どのように行動すべきか、誰の言葉に従うべきか混乱していた。
「建物の外に逃げよう」
「むやみに外に出ない方がいい」
「停電した」
「ガス漏れの匂いがする」
「車の中に避難した」
「車に乗せてほしい」
「津波注意報が出ている」
「震源地はどこ?」
「電話通じない」
「電気復旧した」
「橋が落ちたらしい」
「次の余震で建物が倒れる可能性がある」
「また揺れた」
「明るくなるまで動かない方がいい」
「今からいく」
「12時間以内に震度7がくる」
「ラジオ聞いて」
「充電がない」
「ニュース聞くと不安になる」
「寝た方がいい」
「荷物をとりに帰りたい」
「明るくなるまで頑張ろう」
「日の出5:46」
県外に住む家族や友人から安否を気遣う連絡が怒涛のようにきた。
友人「大丈夫?けがはない?」「どのくらい揺れた?」「家は大丈夫?」
私「大丈夫、けがはない。」「今も余震で揺れてる。」「家は倒れたりはしてない。食器棚が倒れた。(写真を送る)」
友人と互いの無事を確認し、公園の真ん中辺りでしばらく待機した。
スマホにFMラジオのアプリがあったので、それで災害情報を聞いた。
その日の夜、熊本市内の気温は15度くらいまで下がり、上着なしでは寒くてこのまま外で夜を明かすわけにもいかず、余震は続いていたが23時頃に自宅に戻ることにした。
上着や財布だけを身に付け、車に乗り込み、ディスカウントストアの駐車場で休むことにした。
その店は通常なら24時間営業だが、地震の影響で閉店していた。
駐車場には他にも車中で夜を明かそうとする人たちの車が30~40台停まっていた。
緊張と寒さでなかなか深く眠れず、余震で車が揺れるたびに目が覚めてしまった。
後から分かったことだが、この時点ではまだ建物内に残っている人も少なくなかったようだ。
壁の一部が剥がれ落ちた建物
4月15日(金) 避難所へ
日中は散らかった部屋の片づけをし、夜は念のため近くの中学校に避難することにした。
19時頃に中学校に到着、避難してきているのは1家族4人のみ。
武道場が避難所になっており、避難者が利用できるように柔道用の畳が広げてあった。
入口には乾パンや非常時用の飲料水などが置いてあった。
避難所内には市役所の職員が2人おり、名前や住所などを申告した。
市内の学校や公共施設はほとんど避難所になっているらしく、市役所に勤めている私の友人も泊まり込みで別の避難所にいるらしい。
避難所の食料や水は各学校に備蓄してあるものらしく、学校の先生や地元の消防団の方が協力して全ての避難所に行きわたるように手配しているとのこと。
学校は休校になったようだが、校長先生と教頭先生がおり、日中は学校の見回りをしていたそうだ。
グラウンドは照明が点灯され学校周辺まで明るく照らされており、いつでも避難者が入って来られるように校門は開けてあった。
グラウンドに停まっている車は1台のみ。
その後、夜は避難所で過ごそうする人たちがぽつぽつと来た。
武道場には畳こそ敷かれていたが、布団は持参しなければならず、男女を分ける仕切りなどはなかった。
早々と寝ている人もいたが、遅くまで騒いでいる子どもの足音や、他人のいびきが気になった。
またこれから避難所に来る人のために22時くらいまで照明がついたままだったが、早く暗くして落ち着いて寝たかった。
それでも、昨日から緊張状態が続いていたことや、一日中片づけ作業をしていたため、疲れていつの間にか眠っていた。
4月16日(土)1:25 本震が、来た
2度目の大きな地震が起こった。
飛び起きてなんとか体勢を整えたが、身動きは全くとれない。
鉄骨の柱がガコンガコンと大きく軋む音を立てていた。
入り口付近においていた湯飲み茶碗が棚から落ちて割れ、避難者の悲鳴が響いた。
「キャー!!!……」
間もなく入口の電気が消え、停電したことを知った。
今度の揺れはなかなか収まらなかった。
避難者の怯える声。
「何これ、何これ……止まれ、止まれ……」
このまま収まるのか、再び大きな地震がくるのか、一体何が起こっているのか……。
衝撃的な出来事に混乱しそうになりつつ、とにかく地震が収まることだけを願った。
10分間くらい揺れ続けてようやく収まった。
震度7の地震が起きた時点で避難者の数は13人だったが、地震発生から20分後くらいから続々と人がやって来て、武道場はあっという間にいっぱいになった。
2時頃電気が復旧し、避難者から安堵のため息が漏れた。
しかし、夜明けまでに震度4以上の地震が合計20回も起き、その度に生きた心地がしなかった。
夜明け頃、教頭先生が来て武道場2階にある体育館も開放された。
体育館の外にもたくさんの人が避難してきており、グラウンドには車がぎっしり停まっていた。
本震発生時刻の1時25分で止まった時計
※「熊本地震」被災日記(2)へ続く