【特集】「熊本地震」被災日記(3) 避難所スタッフも皆「被災者」
被災生活5日目、問題も多様に
自分が”被災者”になり、避難所で生活することなど、ほぼ全員が初めてのことだ。
だから避難所においてはさまざまなトラブルが起こった。
私が最初に訪れた小学校では支援物資の配布についてもめていた。
校長先生、教頭先生、町内会長、PTA会長、ボランティアスタッフが集まり、届けられた支援物資をどのように配分するか話し合っていた。
「……では、このように配分したいと思います」
「ちょっと待ってくれ。うちの町内にもっと物資をくれないか」
「すみません、基本的に学校に避難してきている人が優先になります。自宅にいる方は基本的に自力で生活できることだと思いますので」
「そうかもしれないが、高齢で避難所へ行けずに自宅で生活している人もいるんだぞ」
「そういう人はどのくらいいるんですか?」
「それは調べてみないと分からない」
「それでは、どのくらい物資を分けたらいいのか分かりません……」
また、同じ日の昼過ぎ頃、ボランティアスタッフが集められ、教頭先生から以下の内容が伝えられた。
「区役所から電話があった。
隣の小学校と中学校も避難所になっているが、そこの体育館が耐震性に問題があるため、閉鎖されることになったそうだ。
そのため、そこにいる避難者約200人を受け入れてもらえないか、との要請だった」
これを聞いた瞬間、ボランティアスタッフは驚きに満ち、皆の反応は一様だった。
「無理無理無理無理……」
「今でもいっぱいいっぱいなのに……」
「他に行けるところはないんですか?」
「新しいボランティアは来るんですか? 私は明日から仕事だから、ここのスタッフの数も減るんですよ。」
結局、100人だけを受け入れることになり、残りの100人は別の避難所へ移動してもらうことになった。
ボランティアスタッフも、学校の先生も皆が被災者だ。
自分の家もめちゃくちゃになっているが、全く手を付けられていないと言っていた。
誰もが精神的に余裕はなかった。
このような中で他人のために働くというのは簡単なことではない。
イライラすることも少なくない。
このような中で、どうすれば人同士の衝突を避けることができただろうか。
風呂のお湯が出ない 「普通のこと」に一苦労
一日中、避難所で働き、夕食の配給を終えて帰り着くのは早くて19時半頃だった。
体も心もどっと疲れていたが、帰宅しても残酷な現実が待ち受けていた。
ガスが止まっているため、風呂のお湯が出ないのである。
仕方なく電気ケトルでお湯を沸かし、それに水を足して使うことにした。
お湯が沸くまでには時間がかかるため、なんとか洗面器3杯のお湯をため、それで髪と全身を洗った。
しかし、それでは十分に疲れがとれなかったので、翌日は近くのスーパー銭湯へ行くことにした。
市内の入浴施設は震災から2、3日後には営業を再開していた。
銭湯へ着くと、案の定、長蛇の列ができており、1時間くらい並んでようやく入ることが出来た。
心身ともにリフレッシュして「また明日から頑張ろう」という気持ちになれた。
場所によっては自衛隊が入浴サービスを行っていたそうだが、これは被災地にとって大きな支援だと思った。
普段、私たちはスイッチを押せば電気がつき、蛇口をひねれば水が出て、風呂ではお湯のシャワーを浴びることが出来る。
でも、これらは決して「普通のこと」ではなかったのだ。