【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(2)

ふと思い立って乗りに行ったローカル線いすみ鉄道。「癒し」という側面から見たローカル線の価値を見出す旅となった。前回は、大原駅から大多喜駅に向かい田園風景の中を移動する「ムーミン列車」を堪能した。しかし、いすみ鉄道の楽しみはムーミン列車だけではない。

「気動車」の思い出

大多喜駅は、昭和のローカル線にタイムスリップしたような雰囲気だ。多くの人達が待っていてお祭り気分の中、ムーミン列車に比べると随分くたびれた2両編成の気動車が入線してきた。私のお目当ては、ムーミン列車ではなく、こちらの気動車だ。車両を見るやいなや、筆者の頭の中には、子供時代の楽しい思い出が鮮明によみがえった。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~
前側は、キハ52という形式の気動車。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~
後ろ側は、キハ28だ。

実は、筆者の子供時代、忘れられない思い出の1つが、気動車に乗って出かけた旅行である。京阪神で育った筆者にとって、鉄道に乗る場合は、電車であった。<鉄オタ>でない人のために、気動車と電車の違いを説明しておこう。外見は、電車からパンタグラフ(架線から電気をもらう装置)をとったもので、大きな違いはない。一番の違いは、電車はモーターで動くのに対し、気動車はディーゼルエンジンで動くこと。線路さえあれば、どこでも走れるので便利だし、架線を引く工事をして電気を引っ張ってこなくて済むので、初期投資は少なくて済む。一方、音はうるさいし、スピードも遅く、燃費も悪い。そのため、輸送量の多い線は電車、少ないローカル線は気動車と使い分ける。

当時、ホームで電車を待っていると、「急行 鳥取行」とか「特急 浜坂行」(兵庫県北部の温泉地)など、行ったことがない地名が書かれたサボ(行き先表示板)を付けた気動車を見ることがあった。普段乗っている電車は、片側にドアが3つで水色なのに対し、気動車はドアが車端に1つあるいは2つで赤とクリーム色のツートンカラーである。乗り降りする人達も、大きな荷物をもって遠出する格好だった。何かしら特別な雰囲気がして、「一体、どういうところに行くのだろう? いつかは乗ってみたい」と思った。念願かなったのが、小学3年の夏休み。家族旅行で、「急行 但馬号」に乗った。憧れの、赤とクリーム色の気動車である! 普段、仕事で多忙の父も一緒の旅は本当に楽しかった。これに味をしめ、夏休みの家族旅行を自分で企画して、西日本の各地を気動車に乗って旅行した。こうして、気動車急行が、旅行の楽しい思い出を構成する重要なアイテムとなった。

気動車の魅力

今にして思えば、筆者の小学生時代は、国鉄がヨンサントオ(昭和43(1968)年10月1日の大規模なダイヤ改正)を経て無煙化を成し遂げ、気動車による優等列車が一番輝いていた時代であった。その後、国鉄は電化が進み、ローカル線の多くが廃止された。多くの<鉄オタ>に惜しまれながら、急行型気動車も、全ての鉄路から消えた。

いすみ鉄道は、国鉄で使われていた急行型気動車(キハ52とキハ28)を譲り受けて整備、復活させ、2011年から営業運転している。公園で動態保存されている車両は他にもあるが、現役で営業運転をしているのはここしかない。<鉄オタ>でない人にとっては、音はうるさいし、スピードも遅い乗り物にわざわざ乗りに行くのは理解できないだろう。昔の気動車のエンジンは非力な分「頑張って走っている」という感覚が人間臭く、スピードの遅さは人間のリズムに合っているので楽しいのである。

そんなことを考えているうちに、大多喜駅を発車した。

*いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(3)へ続く。
 

参考記事
【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)(2016/06/21)
【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(3)(2016/06/30)
いすみ鉄道の名物社長が退任 廃線寸前から人気路線へ(2018/05/24)