【寄稿コラム】ドイツ―難民支援の現場から(1)-玄関口の町パッサウ-
2015年、内戦が長引くシリアをはじめ、政情不穏な中東地域などから欧州を目指す難民の流れが加速し、欧州各地で混乱をもたらした。手厚い社会保障と人道支援ゆえに、多くの難民の最終目的地となったドイツ。昨年1年で100万人を超える難民が押し寄せたドイツで、難民支援をめぐる現場と市民の声を取材した。
始まりは町に根付いた支援活動
チェコとオーストリアの2カ国と国境を接するドイツ南部バイエルン州の町パッサウ。ここは昨年、「バルカンルート」と呼ばれるマケドニア、セルビア、クロアチアなどの国々を通過するルートでオーストリアを抜け、ドイツにやってくる大勢の難民受け入れの玄関口となっていた。その後、「バルカンルート」の国々が国境を閉鎖、今年3月にはEUとトルコが難民協定を締結したことから、難民の数は急激に減少したが、昨年末の時点では毎日3000~3500人の難民の入国手続きがこの町で行われていた。人口5万人の小さな大学町であるパッサウが、どうやってそのような事態に対処できたのだろうか?
パッサウは、ドナウ川、イン川、イルツ川の3つの川が合流する島のような地形をしている。春になると川の水位が上がり、毎年のように水害に悩まされるという土地柄だ。そのため、水害対策のための支援活動がこの土地には根付いており、難民問題が顕在化し始めたとき、水害時の支援活動をしている市民団体が母体となって、難民支援活動が始まったのだという。
「人ごとと思えない」「何かできることを」
市内で出会った学生たちに尋ねてみると、みんな何かしら難民支援のボランティアに参加したことがあると答えた。「週に数時間、支援テントで食べ物を手渡すボランティアをするだけで、難民に対する認識が変わります。戦争で国を追われた人々と触れ合うことで、それが人ごとだと思えなくなるのです」という声を聞いた。
パッサウ中央駅前に設置された、難民の入国手続きが行われているテントを訪れると、到着したばかりの難民の人たちに温かいお茶やオープンサンドがふるまわれていた。登録手続きを終えると、電車やバスでドイツ各地の難民宿泊施設へ振り分けられていく仕組みだ。ここでは1000人の市民が登録して、交代で支援活動を行っていた。
お茶を配っているボランティアスタッフの中には、3人のアフガニスタン人の若者がいた。1~2年前、やはり難民としてドイツにやってきたのだという。今はパッサウで語学学校や職業訓練学校に通っている彼らは、「自分たちも何かできることをしたいと思って」と言葉少なに話してくれた。
待機テントの壁には、ここで待ち時間を過ごしていた難民の子供たちが描いた絵がいっぱい貼られていた。明るい太陽や緑の野原……そして何よりも、家を描いたものが多かったのに胸を突かれた。
(ドイツ―難民支援の現場から(2)に続く)
[冒頭の写真]
待機テントでお茶やオープンサンドが配られていた
ここで登録を終えると、ドイツ各地の宿泊施設に振り分けられていく