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縄文の「ムラ」、青森県・三内丸山遺跡を訪ねて

8月、猛暑の中、青森県青森市の三内丸山遺跡を訪れた。ここは江戸時代から知られている縄文時代前期から中期の遺跡である。1992年から始まった発掘調査により、多くの竪穴式住居跡や、掘立柱建物跡、盛土もりど、大人と子どもの墓、非常に多くの土器や石器が出土した。

遺跡ではボランティアガイドの案内による60分の見学コースに参加した。最初に南盛土みなみもりどと言われる場所を見学。大量の土器や石器、土偶やヒスイ製の玉が土と一緒に捨てられ、約1000年間をかけて丘のように盛り上がっている。

当時は木の実など、植物性の食料が主であった。クルミやクリが多く出土しており、特にクリは当時の人々の主要な食物とされる。イモ類や山菜も食用し、マメ類やエゴマ・ヒョウタンなども栽培された。他の縄文遺跡ではシカやイノシシが多いが、三内丸山遺跡ではムササビや野ウサギなどの小動物が多いことも分かった。魚類はマダイ・ブリ・サバ・ヒラメ・ニシン・サメ類などが多く、フグも食べていた。調理は焼くより煮るほうが多かったという。

また、当時、既に遠方との交易も行われており、ここから約600km離れた新潟県の糸魚川周辺からはヒスイが、日本海沿岸地域からは黒曜石が、岩手県北部の久慈からは琥珀こはくが舟で運ばれていたそうだ。

次に、竪穴住居跡をのぞいた。床は地面を掘り込んで作り、中央には炉がある。五畳ほどの住居には5~6人が共に住んでいた。当時の人々は非常に短命で平均寿命は30歳くらいだった。

縄文時代は今から約1万2000~3000年前に始まり、約2300年前に終わる。その約1万年間のことを指す。縄文時代は日本列島特有の先史文化とされ、人々は農耕と牧畜をせずに、狩猟、採集、漁労を生業としながら定住した。また彼らは協調性のある「ムラ」社会を作り、それにより長期間継続できたとされる。このような縄文文化は、世界の他の地域における新石器時代の文化とは全く異なり、世界史上、極めて稀有とされている。

真夏のひと時、汗だくになりながら遺跡内を歩けば、タイムスリップしたようにも感じられ、縄文時代の人たちの生活に思いを馳せた。

縄文の「ムラ」、青森県・三内丸山遺跡を訪ねて
掘立柱建物遠景 集会所として使用したと思われる

縄文の「ムラ」、青森県・三内丸山遺跡を訪ねて
竪穴式住居跡(復原イメージ)外観

縄文の「ムラ」、青森県・三内丸山遺跡を訪ねて
竪穴式住居の内部の様子

縄文の「ムラ」、青森県・三内丸山遺跡を訪ねて
大型掘立柱建物跡 6本柱の長方形の建物と考えられている。穴の直径は約2m

縄文の「ムラ」、青森県・三内丸山遺跡を訪ねて
大型掘立柱建物 復原イメージ

【詳細情報】
三内丸山遺跡
青森県青森市大字三内字丸山
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
TEL:(遺跡の入口施設「縄文時遊館」)017-781-6078、017-782-9462
開館時間:遺跡は通年開放。
縄文時遊館は9:00~17:00(6月1日~9月30日は18時まで)、年末年始休館。

 
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