法律家の目でニュースを読み解く! 元農水事務次官の息子殺害事件 なぜ事件の「連鎖」は起きたのか?
6月1日に東京都練馬区で起こった、元農水省事務次官が息子を刺殺した事件に対して、報道やネット上などでの世論を見る限り、被疑者である父親の方に圧倒的に同情の声が集まっているように見受けられます。
この事件に、司法ではどのような対応が取られるのでしょうか。元検察官の目から見た捜査の手順と、事件のとらえ方をまとめました。
協力:三上誠 元検察官。弁護士事務所勤務を経て、現在はグローバル企業の法務部長としてビジネスの最前線に立つ、異色の経歴の持ち主。 |
刑事事件として特異なケースではない
今回の事件を検察官目線で見た場合、殺人事件としての捜査はとても簡単だと思います。基本的には、きわめて明白に「犯行態様から強い殺意を推察させる殺人事件」です。証拠もあり、被疑者が自白していて、動機もある程度明白ですから、検察側が多忙な時には新人検事に配点される可能性もあるような事件です。
検察庁や裁判所には、過去の同種事例を検索して量刑を定めることができるように検索システムも配備されているので、法曹同士であればある程度量刑も予測できると思います。
特異な点としては、被疑者が著名人であるため、取調べにおいて一定の配慮を要することや、社会的な影響力を考慮しなければならないことですが、殺害の動機もそれほど珍しいものではなく、本来であれば法曹にとってはさほど興味を引く事件ではありません。
報道に登場しない「被害者の母親」の存在
ただし殺人事件の特性上、被害者は法廷で語ることができません。このような場合、通常であれば、被害者の味方になって被害者の人となりを伝えてくれるのが遺族の存在であり、この遺族の処罰感情も事件の処理に影響します。
しかし本件では、唯一の被害者遺族と言ってもよい、被害者の母親の心情をうかがい知ることのできる報道は一切なされていません。普通に考えると、夫であり、ともに家庭内暴力を受けていたとされる被疑者に、たとえ被害者の母親だとしても厳しい処罰感情を向けることはないように思います。
したがって公判では、殺人事件の被疑者に対して厳しい目を向け、追及する側である検察官は、できるだけエモーショナルな側面を排して客観的な事実関係を強調することになると思われます。一方で被疑者の弁護人としては、殺害に至った被疑者の苦悩を世論の後押しを受けて裁判員にアピールし、全力で執行猶予を取りにいく事案になりそうです。
裁判員対象事件であることから、過去の事件に比べて量刑に多少のぶれが生じることも予想されますが、同種事例に比べて過剰なぶれが生じれば、職業裁判官のみで行われる控訴審で是正されることになるでしょう。
被疑者を犯行へと追い詰めたもの
前述したとおり、刑事事件としてはそれほど特異な事件ではないのですが、被害者と、加害者である父親、それに母親との関係については、事件の背景として十分精査されるべきだろうと思います。確認された事実ではありませんが、被害者本人のツイッターなどから、統合失調症の妄想型を発症していたらしいこと、両親に対して歪んだ依存心と敵意を抱いていたこと、他人に対しても挑発的な言動を繰り返していたことがうかがわれます。家庭内暴力についての報道もかなりの数見られますが、被疑者の供述ベースでの情報となるでしょうから、慎重な吟味が必要かと思います。
被疑者は「(これより少し前に起こった)川崎の無差別殺傷事件で追い詰められた」と話しているそうですが、本当にそうだとすれば、「死にたいなら一人で死ねばいい」などといったSNS上のコメントを拡散し、公正さを欠いた報道をしたマスメディアや、慎重さを欠いた発言をしたコメンテーターには、その社会的影響力について改めて考えていただく必要があると思います。これらの報道が、川崎の事件と似た境遇にある子どもを持つ親を追い詰めた可能性は非常に大きいからです。マスメディアが「(被疑者である)お父さんの気持ちはわかる」というような著名人のコメントを、何の工夫もなく流してしまうことは、その社会的影響力を考えた時に、もっと問題視されるべきだと思います。
問題視されるべきメディアの社会的影響
殺害され、もう二度と語ることができない被害者に対する同情や理解がまったく見られず、被疑者にばかり同情的な情報があふれている現状には違和感を覚えます。人が一人殺されているのですから本来、同じようなことが起こらないように、こういった問題に取り組み現場に携わる専門家からの洞察や見解、同じ境遇にいる親たちがとるべき道、また今回の悲劇を生んでしまった問題の根幹について、被疑者、被害者の双方に配慮しながら情報が提供されるべきです。そのような情報がメディアを通して届くことで、特に同じような境遇にいる人たちが追い詰められることなく、適切な支援を受けることができるようになるべきではないでしょうか。
今回の事件は、社会問題におけるメディアの役割について、改めて考えるべき重要な機会とするべきだと思います。
(写真はイメージ)